2011年8月19日金曜日

metujin ekikyou 日誌 「霊感商法コメント 他」


http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20110817-OYT8T01149.htm

県警、組織的詐欺容疑「教祖」らの行方追う

神世界本部から押収物を運び出す県警の捜査員ら(17日午後6時33分、
山梨県甲斐市で)
有限会社「神(しん)世界」(山梨県甲斐市)グループによる霊感商法事件
で、県警は17日、組織的犯罪処罰法違反(組織的詐欺)の疑いで「教祖」
と呼ばれる最高幹部の男(53)ら幹部4人の逮捕状を取り、同市の
神世界本部の捜索を行った。

同本部と周辺の関連施設には、同日午後4時30分頃、県警の捜査員ら
約15人が家宅捜索に入った。捜査員は約2時間かけて、段ボール数箱分
の資料を押収。近くに住む主婦(72)は「何度捜索を受けても、
変わらず活動を続けていて、不気味だった。今度こそ全てを明らかに
してほしい」と話した。

捜査関係者によると、最高幹部ら4人は2004~06年に、
病気などに悩む男女5人から、現金計1340万円をだまし取った
疑いが持たれている。県警は4人の行方を追っている。

4人に逮捕状が出たことについて、被害対策弁護団の荻上守生弁護士は
「神世界上層部に捜査が及ぶことは非常に大きな意味がある。組織解体
にもつながってくるだろう」と話した。

(2011年8月18日  読売新聞)

----------------------------------------------------------------

法事で出かけておりました。
長らく ブログもツイッターも空けてしまいましてごめんなさい。
m(_ _)m

と閑散としたブログの読者さんに謝ってみる。^^)
さぁ本日もひとりごとを頑張ってみよう。

---易を霊感商法から引き離して本来の道に戻す為に------

こういった霊感商法には内心忸怩たるものがありまして、
易も高島易断名での「霊感商法」が有名になってしまい、
易といえば
カルト霊感商法を連想させるまでになってしまったのは 憂うべき事です。
改善すべき余地があるのではないでしょうか。

ですので私は敢えて、「易経」というのを全面に出して
「 易神 」(神様)という
考えは表には出さないようにした上で書いていますので私が書いたものを
読む方が読むと反発があるかもしれませんが、
占いや易を利用した「霊感商法」への対処の一環ですのでご了承願いたい。

易経が示す「 辞 」にしても古い時代のものなので脅しに
とれるような「 辞 」もあるわけで、力のある易者さんがきちんと
運用して相談される方に説明できるならおおいに「 離 」(|:|)
の「 益 」がありますが
はなっから「 霊感商法 」で一儲けしてやろうという人たちからみる
ならこれほど脅しに利用しやすいものもない。
反転して「 坎 」(:|:)

個人的には易経の「 辞 」に関しては陰陽の配置に対してそのヒントを
埋め込んであるものが「 辞 」なのでこの文章自体は動かすべきでは
ないというのが率直な感想でありまして、易を解説される諸先生方は
平易に意訳されたりされていますが、あれはあれでそのヒントを隠して
しまうものではないかと懸念するわけです。
(辞の文章自体も 陰陽の配置の一部分 )

ですので「 辞 」に関しては動かせないので他の 「霊感商法」に
利用されそうなものを極力排除する姿勢になるような感じに
なっています。
なので私のブログにおいては 辞引き型経典「 易経 」にリスクを
尋ねる形にして神様は想定しないようにしております。
易経を「霊感商法」から引き離してその利益を最大限に庶民に還元
するためにはいろいろ工夫が必要なのではないでしょうか。


-----------神様を想定しないデメリット「 家人 三 」-------

脱線して話しますと、占う時と場所の「占機」で占いますので、いくら
神様を想定しないからといって、乱れた姿勢態度だったりすると
その乱れた陰陽が反映されれますので、あまりいい「 辞 」は出てこない
ですね。  体験上 ^^)

で私の場合は 反発したりしますので これまたドエライ 「 辞 」
が帰ってきたりします。^^)
バカ丸出しです。

今回の事件を占機にしたわけではありませんが 上記の考えを易に
ぶつけて以前答えを頂いたものを示しておきます。

「風火家人 三爻」(||:|:|) 

変卦
「風雷益   」 (||:::|)


「三爻  爻辞    家人かく々。悔厲吉。婦子嬉々。終吝。」
(かじんかくかく。あやうきをくいればきち。ふしきき。ついにりん。)

九三は過剛不中、家人を治める者のあり方。
治め方を厳しくすれば、家人はきゅうきゅう言って悲鳴をあげるが、
治め方のはげしさを悔いるぐらいであれば、家道を失わずに吉を保つ事
ができる。反対にゆるやかすぎて女子供がいつも笑いこけるようなしまり
のなさでは、結局において吝である。放縦に流れるよりは、厳格
すぎる方が結局は宜しいことになる。

「象伝」家人かく々たりということは、決して治め方を失していること
にはならない。婦子嬉々たりということは、
家を治める節度を失うことである。

0 件のコメント:

コメントを投稿