2018年8月2日木曜日

共通 『「旅 三」江原啓之が西日本豪雨犠牲者が200人越えたが、 過去の災害での--- 略 ---スピリチュアル的考え方の陰陽』


 ※「この文章も日付をまたいだものになったので」
ブログ側冒頭と注意を書いておきます。

※「ツイート側の日付は2018年8月1日、ブログ側はこの文章含め
2018年8月2日になります。」




共通
『「旅 三」江原啓之が西日本豪雨犠牲者が200人越えたが、
過去の災害での--- 略 ---スピリチュアル的考え方の陰陽』


◇「サブタイトル」
『彼らの考え方として
人は永遠の「旅人」の考え方になるわけですから当然この陰陽が
示されるわけです。
「なんといいますか易の不思議といいますか。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ただ問題なのは内卦「艮」(|::)の家、つまりは
「先祖の誰某が ・・・」というロジックが通用しなくなるわけ
です。

またそもそも「原始仏教」に於いてはそういう「先祖の誰某が ・・・」
というのは無いわけですが・・・。

それと内卦「艮」(|::)を身体感覚器官と観ることもできるわけ
です。
故に般若心経に曰く、「受想行識 ・・・・ 」
いずれにせよ論理的には難しいわけですね、「誰某が・・・」だとか
それを「在る」とするには、・・・・ 』



◇「記事動画引用」
https://www.youtube.com/watch?v=_WNEWlgAS7Y
江原啓之が西日本豪雨犠牲者が200人越えたが、過去の災害での
震災地域で心霊現象が続出した事と死後の世界について言い放った”
ある一言”にスタジオ騒然!【スピリチュアル開運チャンネル】


スピリチュアル開運チャンネル
2018/07/14 に公開

///// 引用ここまで  /////

 まずは被災された方々、お亡くなりになった方々の
ご冥福を心よりお見舞い申し上げます。


◇「記事動画引用」
https://www.youtube.com/watch?v=pORKBYOMp9k
0:26 / 4:16
江原啓之「お経はただ闇雲に唱えても意味がない!?」


江原啓之 美輪明宏 オーラの授業
2016/01/25 に公開

///// 引用ここまで  /////

 氏はお経をイメージという意味にて説かれているようですが
これは少し ・・・



 冒頭誤解の無いように書きますと江原氏が「カル○、霊感商○」
だと述べているわけでは無いので誤解の無いようお願いします、
ただ、氏の論法は「カル○、霊感商○」の「入り口」に使われて
しまうわけですね、

 なのでその部分のみ批判するということになります、

よって関係者様各位、了とされて頂きたい。
ここで書く文章は江原氏に対するものというよりは「彼らの考え方」
への批判を少しということになるわけです。


 もうお盆なのと、ここでは善意を裏返す形の「カル○、霊感商○」
といったものは批判の対象になりますので少しコメントをしてみたい
と思います。

◇ 以前チベット仏教が何を間違ったのか、何故に国民は
ヒマラヤ超えて難民になってしまったのかを解説したわけですが、

・・・

 ◇「参考過去ログ引用」
 http://metujinekikyou.blogspot.jp/2012/08/metujin-ekikyou_29.html
 2012年8月29日水曜日
 metujin ekikyou 日誌  サブタイトル
  ◇『仏教の陰陽は「雷山小過 上」一致したチベットの統治機構』
 「天雷无妄 上」

 --- 略 ---
 サブタイトル
 ◇『仏教の陰陽は「雷山小過 上」一致したチベットの統治機構』

 「ダライ・ラマが11月に来日」
 「対話で焼身自殺止まる」チベット亡命政府首相、中国を非難

 --- 略 ---

 ---まともな仏教の陰陽は「小過 上」爻---

 「雷山小過 上」
 主卦「雷山小過」(::||::)
 変卦「火山旅 」(|:||::)

 --- 略 ---

 ---この陰陽の特性上 平和的な教えなのに常に政治的なものや
  「旅」戦争のようなものとご縁がある。          ----

 --- 略 ---

 ---チベットの陰陽はこれだったようです。 ----

 「天雷无妄 上」
 主卦「天雷无妄」(|||::|)
 変卦「沢雷随 」(:||::|)

 --- 略 ---

 --- 転生ラマを政治と宗教のコアに置いた事が今のチベットの悲劇の
   大本との事。                      -----


 ///// 引用ここまで /////


 ◇「参考過去ログ引用」
 https://metujinekikyou.blogspot.com/2016/10/blog-post_13.html
 2016年10月13日木曜日
 共通 『「雷山小過 上」大いなる破戒、大いなる亡国
 「チベット仏教」』

 --- 略 ---

 ◇「サブタイトル」
 『なのでチベット仏教は北傳仏教の一番悪い面、それ自体が権威王権
 と化したものだから最終的に今のような惨状に到ったということに
 なるわけです。
 ( 私に言わせればチベット仏教は破戒の宗教故に ・・・ )

 なのでダライラマ猊下を批判するのは畏れおおいことですが、
 宗教家としては尊敬できても、政治家としては ・・・ ということに
 なるわけです。

  彼らほどの叡智のある方々が易を手にしておったなら ・・
 今以て残念でならないわけですね。』
 
 ///// 引用ここまで  /////

 ということで、
 今回は江原氏のようなスピリチュアルの方々の「考え方」を
批判してみたいと思うわけです。

※「因みに私の考え方は仏教が基礎となります。」

 仏教的には彼らのような観方は「常見外道」になるようです、
( 死後も何かがずっと継続していく観方、考え方 )

もう一つの考え方に「断見外道」というのがあってそれは死んだら
それでオシマイ、・・・・

で、仏教はどれになるかと云うとその両方の道をとらないのが
仏教になるわけです。
なのでこれをして「縁起、中道」と述べるわけです。
「三法印」「四法印」「諸法無我」

それでウィキペディアにて氏の検索をしてみますと、

 ◇「ウィキペディアソース引用」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8E%9F%E5%95%93%E4%B9%8B
 江原啓之

 --- 略 ---

 スピリチュアル批判している苫米地英人は、嘘をついてる人では
 ないと思うと話すが、自身の生徒が作った偽の心霊写真を、江原が
 番組で本物だと断言したという体験談から能力は無いと判断して
 おり、悪魔の洗礼(人間の潜在的恐怖)に遭った被害者だと語っている。
 そもそも霊の勉強も中途半端で、カルマという概念は、突き詰めれば
 殺人を肯定するポアのような行為にも繋がり、魂の階層性については、
 絶対的な差別で受け入れてはいけない考えで、語るべきではないと
 主張する[40]。

 大槻義彦は江原のテレビの内容や本について、「幼稚、ばかばか
 しい、インチキである」と自身のウェブサイトにおいて批判して
 いる。(大槻にすれば非科学的な)江原の本がベストセラーに
 なってしまうことなどについて、一般読者の幼稚さに驚き、
 日本人の後進性に落胆しているという[41]。そして、江原の番組を
 テレビで放送していることや、有名出版社が、江原の本を争って
 出版していることについて批判している[42]。また、江原に擦り
 寄る文化人を批判している[43]。

 さらに「江原は霊感商法の根源」であると批判。弁護士らと連携の
 上、出版や放送の差し止めなど法的手段に訴える意向であるという。
 「法廷で検証実験を行い、インチキを暴く」と語っている[44]。
 2008年4月、『江原スピリチュアルの大嘘を暴く』(鉄人社) を出版
 した。

 ///// 引用ここまで  /////


 一応批判はあるようですね、私も苫米地氏の考え方に賛同
するわけです。

「 問筮 」
『江原啓之が西日本豪雨犠牲者が200人越えたが、過去の災害での
震災地域で心霊現象が続出した事と死後の世界について言い放った”
ある一言”にスタジオ騒然!【スピリチュアル開運チャンネル】』

『江原啓之「お経はただ闇雲に唱えても意味がない!?」』

『仏教的には江原氏のようなスピリチュアル系の方々の観方をして
「常見外道」と云うようだが、易的にはどういう陰陽か、?
 またお経に対する捉え方も無茶苦茶であって ・・・ 』

「火山旅 三」


「卦  辞」
「旅。小亨。旅貞吉。」


「火山旅 三」
主卦「火山旅 」(|:||::)
変卦「火地晋 」(|:|:::)
「三爻  爻辞  旅焚其次。喪其童僕貞。厲。」
「旅してその次を焚(や)かれ。その童僕を喪(うしな)う。
 貞しけれども厲(あや)うし。」

「象に曰く、旅してその次を焚かるとは、またもって傷まし。
 旅をもって下に与す、その義喪(うしな)うなり。 」
※(典拠は「岩波文庫易経」より、以降引用は同左) 

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/760559
国会図書館蔵 高島易断増補版 智之巻 コマ番「151-」
「旅 九三」
「勝手意訳につき原文の確認及び、文章利用の際は一報を」

『「占」住所安寧ならざるの象あり、
又久しく使ひ慣(な)れし手代に暇(いとま)を取らするか、年来交わりたる
朋友と不和を生ずるか、何(いず)れにも親しみある者に離るるの時とす、
常に剛強(ごうきょう)(つよき)なる心を和らげ、信義を破らざるを主と
すべし、又旅商人は損失あるの時とす、」』


占例「真言宗高僧雲照律師、将来の運気」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/760559
国会図書館蔵 高島易断増補版 智之巻 コマ番「152-」
「旅 九三」
「勝手解釈につき原文の確認及び文章利用の際は一報を」

『「占例」真言集の高僧雲照律師は、博識厳律一宗の棟梁なりと云ふ、
余かつて高野西京等に遊び、同師に会遇し、亦其の高僧なるを知る、
明治十八年初夏来たりて余が廬(ろ)(いほり)※(庵)
を訪(と)ひ、互いに久闊(きゅうかつ)(ひさしくさかる)を叙し、


http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/54784/m0u/
《久闊(きゅうかつ)を叙・する》
《無沙汰をわびるあいさつをする。久し振りに友情を温める。》

談話殊(こと)に密なり、既にして余に謂(いひ)て曰く、貧道(ひんどう)
(それがし)は出世脱俗の沙門なり、一身の吉凶悔吝(きっきょうかいりん)
固(もと)より顧(かへりみ)る所に非ずと雖(いへ)ども、今や身を以て
宗門の興隆に委(い)(まかす)す、亦時運盛衰(またじうんんせいすい)の

為に煩(わずらは)されざるを得ず、先生幸いに一占して、将来の運気
を明示し給(たま)はんことを請ふと、余乃ち謹(つつしみ)て之(これ)を
占筮し、旅の第三爻をえたり、

爻辞曰。九三、旅焚其次。喪其童僕。貞厲。

予(よ)先ず律師に告げて曰く、今律詩の為に占問する所は、実に至誠を
盡(つく)し、精神を極め、以て神明に酬酢(応対)して、其の明名を受け
たる者なり、故に此占決して毛髪の誤謬(ごびゅう)(あやまり)あること
なし、律師宜しく神宣(しんせん)と念し、慎みて之(これ)を信頼し給ふ
可(べ)しと、

律師唯々(いい)(同意)す、余是に於いて断じて曰く、それ旅は親しみ
寡(すくな)きの卦なり、常人に在りては、憂苦綿々(ゆうくめんめん)
(うれいくるしみ)として至り、或いは居を移し、家定(いえさだ)まらずと
す、然れども出家遁世の境涯に在りては、却(かへり)て適当なりと謂ふ

べし、何となれば出家は凡を離れ、俗を脱し、三界に家なく、
六道を逆旅(ぎゃくりょ)(はたごや)と為し、厭伏修行(あつふくしゅぎょう)
、以て心性円満の妙境(みょうきょう)に到達するを其の本分と為す者
なればなり、今や三爻変じて、艮山坤地と為る、是(こ)れ我慢の艮山

摧破(さいは)(くだけやぶれ)せられて、定行成就の坤地と為るの象なり、
然れども易象固(もと)より多義あり、今一宗より之(これ)を見れば、
山変じて地と為るは、一宗を統括するの総本山瓦解して、末派同等の
坤地と為り、遂に一致せざるに至るの象なり、

又律師は則(すなは)ち第三爻なり、今第三爻の変ずるを観れば、律師
は遂に本山を離れて、宗務に関せざるに至るべし、故に其の辞(ことば)
に曰く、旅焚其次。喪其童僕。貞厲と、

旅焚其次とは、律師今出家遁世の身にして、大本山に住居し、数万の僧
徒を支配して、俗務の煩雑なるに鞅掌(おうしょう)(忙しく暇なし)
せらるるは、出家の本義に非ず、所謂る出家の出家たる所以を失ふなり、

然るに今や本山瓦解し、律師身を委(い)して、宗務に従事するの
ところなし、これ律師が真に世塵を避けて、再び出家するの時期到来
したるなり、故に旅焚其次と曰ふ、蓋(けだ)し(思うに)旅中にして
宿舎を焚(や)く、恰(あたか)も僧侶の寺院に離るるが如し、又喪其童僕

とは、既に宗務の負担を解き、身を退くるが故に、従来支配したる末徒
に離るるは勿論(もちろん)

弟子随者をも失ふて、単身と為るを謂ふなり、厲(れい)とは律師の身上
、一宗の体面に於いて、よく変遷(へんせん)ある時なれば、従来の思想
を一変して、早くその変に応ぜざる可(べ)からざるを謂ふなり、
今それ律師の運気は此(かく)の如くなりと雖(いへ)ども、人生の禍福

吉凶は恰(あたか)も索縄(さくじょう)(なえるなわ)の如く、此の変遷の
為に、律師の一身に於いては、却(かへり)て意外の好結果を得るの
象あり、
即(すなは)ち旅の九三変じて火地晋(かちしん)と為る是(これ)なり、

その彖伝に曰く、
--- 略 ---

律師今より一宗の変革に因りて、従来の煩塵(はんじん)を離れ

、真に世外に超脱するが故に、其の道徳は益々進みて、日輪の大地を
照らすが如く、文明を天下に布(し)き、善徳を衆民に施し、律師の名声
却って今日に倍するに至るべし、是に於いてか政府並びに有志者、大

(おおひ)に其の道徳に感じ、旅を助くるの要具(ようぐ)を施して、為に
律師は寺院なしと雖(いへ)ども衣鉢に事を欠くことなく、却りて世人の
帰信を得ることあるべし、故に康侯錫馬蕃庶、晝日三接と曰ふなり、

律師頭(こうべ)をたれて、心中大(おおひ)に感ずる所ありたるが如し、
其の後果たして一宗の変革ありて、各派に分離し律師は東京目白の小庵
に退陰(たいいん)(しりぞき)して、宗務の煩雑を離脱せられ、是(これ)

より以後、其の運気火地晋に変じて、名声益々高く、其の道徳も愈々
(いよいよ)進み、博(ひろ)く世人を教導(きょうどう)(おしへみちびく)
せらるるに至れり、』

///// 呑象テキストここまで //////

 ここに答えが書いてありましたね、^^)。

◇◇ このテーマ結論 ◇◇

「火山旅 三」
主卦「火山旅 」(|:||::)
変卦「火地晋 」(|:|:::)

 毎度書くようにこの陰陽は「出家」には良い陰陽になるようです。
 ^^)。

普通一般の方々にこれが出るのはヤバイわけですが、 ・・・

彼らの考え方として
人は永遠の「旅人」の考え方になるわけですから当然この陰陽が
示されるわけです。
「なんといいますか易の不思議といいますか。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ただ問題なのは内卦「艮」(|::)の家、つまりは
「先祖の誰某が ・・・」というロジックが通用しなくなるわけ
です。

またそもそも「原始仏教」に於いてはそういう「先祖の誰某が ・・・」
というのは無いわけですが・・・。

それと内卦「艮」(|::)を身体感覚器官と観ることもできるわけ
です。
故に般若心経に曰く、「受想行識 ・・・・ 」
いずれにせよ論理的には難しいわけですね、「誰某が・・・」だとか
それを「在る」とするには、・・・・


◇「易より追加」
「沢風大過 初」(:||||:)変卦「沢天夬」(:|||||)
「初六。藉用白茅。无咎。」
「象伝曰。藉用白茅。柔在下也。」

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/760557
国会図書館蔵 高島易断増補版 義之巻 コマ番「239 -」
「大過 初六」解説
「勝手意訳につき、原文の確認及び文章利用の際は一報を」

『「占」我が身柔(じゅう)にして剛に対す、敬慎して巽順なるべし、
又大事を思ひ立つの時とす、蟻穴(ぎけつ)(ありのあな)能(よ)く堤
(つつみ)を壊(やぶ)る、必ず心を小にして、過ちなからんことを要す、
凡(およ)そ謀(はか)ることは人に在り、其の成ることは天に在り、

故に大事に当たらんとする者は、必ず天地鬼神を祭り、其の冥助を
受くべし、』

///// 呑象テキストここまで  /////

 この卦に裏事情を問えば「頤」(|::::|)たる「離」(|:|)
の似象、乃(すなは)ち「仏教」に擬○して相応の「お布施」を
得ようとする方々は、常にこの姿勢であらねばいけないわけです。

少なくとも我欲強欲といった風景を醸してしまうならば、
それはあっという間に寿命が来るようになる。・・・
実に慎むべしということになるわけです。


//////////////////////////

///// 追加雑談 /////

 ※「この文章も日付をまたいだものになったので」
ブログ側冒頭と注意を書いておきます。

※「ツイート側の日付は2018年8月1日、ブログ側はこの文章含め
2018年8月2日になります。」

◇◇  ◇◇

 易からの指摘にしろ本来の仏教の考え方にしろ、
人間は死んでからも何かがずっと継続するだとか、「真我」だとか
というものがあると云う考え方は「ありえない」のが理解
されるのでは無いでしょうか。

つまりは、「先祖の誰それが ・・・・」

という考え方、観方を本来はしないのです。
「三法印、四法印 」

 寒い地方に伝播した
北伝仏教は否が応でも伽藍お布施無しには
成立しませんので変質していっただけのことになるわけですが
結果としてそこに「カル○、霊感商○」につけこまれる要素が
できてしまったというだけになるわけです。

 そももそ釈迦という方は批判議論を推奨した方になるようですから
何事も頭から信じるという姿勢では無く、

【それ「君子の道たる」占いは裏付けを取る也、物事が裏返って
もいいように裏綯う也、そもそも賢人君子の教えを理解し初めから
「咎凶」の種を蒔くことなかれ。】

 この姿勢で大丈夫ということになるようです。

◇◇「問題は政治力の徒花福祉・・・」  ◇◇

 問題なのは現代社会は宗教系の政治団体が政治力を発揮し
福祉系の利○を ・・・・

政治として「大っぴら」に批判すると何かと、後々問題が発生
する可能性がありますので、よくよく立場を鑑みその批判の「口」
を開くのかどうか判断が必要になってくる場合もあること
理解されるべきでは無いでしょうか。

 我が日本国は宗教による徒花もまた咲いた国家であること
よく認識すべきなのです。


 とはいえその「徒花の側」たる○権の側も、
米英「坎」(:|:)民族の方々が設定した日本の戦後統治政策上
のものでしかありませんので、

「坎為水分断統治」(反目の統治手法)(:|::|:)
「少数民族の方々を政官上位に据えた反目分断統治、代理統治」
「お猿さんを棒で叩くとお猿さんは叩いた人では無く棒に怒りを向ける」
「猿の惑星のモデルは日本人」

 この棒としての役割を担ったのは国として観れば特ァ、
支○朝○韓○国内的には旅人○日の方々が、・・・
所謂代理統治者として ・・・・

彼らは官○、マスコ○、教育宗教等々日本人の上座に座ったわけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 それもやがては崩壊する方向へ ・・・・

したがって以前より書いてきたように「坎 四」(欲も程々に
・・・・ )の公式があてはまってくること忘れないようにして
頂きたい。


 それと民意の側に必要なのは新たにその○権を作りたがる方々を
いかに弾くか、排除していくか ・・・
が問題になっていくのでは無いでしょうか。
よって今回私が書いたことをよく理解された上でその誘惑をはねのけ
るようにして頂きたい。

 本来の仏教では取引タイプのお布施のやりとりはしないので
あるし、「先祖のだれそれが・・・・」という考えかたもまた
無いのです。
また「護摩も占いも本来は禁止」


/////////////////////////////

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