2012年3月29日木曜日

metujin ekikyou 日誌  『自称「霊能力者」女に判決 信者に女性殺害を指示』 「沢風大過 初」

metujin  ekikyou  日誌 

『自称「霊能力者」女に判決 信者に女性殺害を指示』
『この自称「霊能者」の方は何らかの力があったのか?
あったとすれば避ける方法は如何に」

「沢風大過 初」

http://www.youtube.com/watch?v=IWtaSDARaGw&feature=g-all-u&context=G294eaf1FAAAAAAAAFAA
自称「霊能力者」女に判決 信者に女性殺害を指示(12/03/28)

信者の女に犯行を指示し、高齢女性を殺害したりしたとして罪に問われて
いた自称・霊能力者の女に懲役30年の判決です。無罪を主張し続けていた
女に対し、裁判長は「欲望の-まま次々と犯行に及んだ」と指摘しました。

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---前段----

このブログではこういったカルト霊感商法系の批判をタマにやってきて
います、近くは
前回「オセロ中島氏騒動」の件で

-----自ブログ引用-----
《2012年2月18日土曜日

metujin  ekikyou  日誌
「オセロ中島を洗脳した“女霊能師”その“素性と手口”全真相」
「こういったものの被害を防ぐにはどうすべきか 」

「水火既済 初」》
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といったような「易」からの答えを解説したりしております。
前回のは「初爻」ですので占いにしろこういったものにせよ、あまり
深入りしない、従属させようとするようなのは「ダメ」である旨
書いております。あと追加追加でお布施を得ようとするのもこれも
よくない。

占いの場合は一回、一回、取引を完結させるのが良いようです。
所謂商業「占」と云うやつですね、
カルト霊感商法系はこの段から次に「先祖が~」だのが始まり、終わりが
無くなる。
metujin  はそもそもが仏教ヲタでありまして、近年は「占い」のような
ものをバカにしていた人間であります、
今は何故か縁を得てしまい、こんな事を書いておりますが。 ^^)

本来の仏教においては「一日賢人」といいまして「占い」のようなものは
禁止。
更にいうなら本来は祈祷のようなものも禁止なんですね、ホントは。
※「長部経典」他

心が未来へいったり、過去へいったり、「意馬心猿」と云う言葉が
ありますが、それが「我見執着」「煩悩苦悩」の元であるとするわけです。
なのでこの考え方は「我見」を固定して、「意馬心猿」を増長する、
「占い」とは逆のものですから禁止するものと思われます。

仏教は確かに「心」の世界においては優れたものでありますが、現実世界
で諸々心配事があったりする我々のような人間にはその入口が二階から
三階位の位置にある。
チベットがあんな感じになってしまったのも、「心」の世界に偏った
からではないでしょうか。
なのでここいら辺はヒジョウに悩むところですねぇ。

本来の仏教においては「無記」といいまして、死後の存在が、であるとか
形而上のものは確認できるものではありませんからこれを議論する事を
禁じているようです。
議論したところで答えが出るようなものでもありませんしね、
ただ、metujin  がずっと考えてきた感触では、過去世であろうが、未来世
であろうが、「無我」「非我」であるとお釈迦様は説いていますので
死後の存在であろうが、これは「我見煩悩」を抱えているだけのもの
とみておけばいいのではないでしょうか。
こんな感じですので本来の仏教はそもそもが商業的なものは一切ない
そういう教えのようです。※(SN 81)

「六根 六境」における考察もありますが、長くなりますので
本題に戻ります。

なかなかこういったものは無くなりませんね。
嘆かわしい事です。

戦前の宗教弾圧に懲りたのか戦後は逆に宗教の世界だけは、「教義」に
かかるようなものははっきりいってやりたい放題。
上に宗教がかぶさったなら「嘘」で人を騙したとしても、お布施であるとか
が世間相場に収まっている分にはそれをすり抜けてしまう。
そんな感じのようです。
今回のは明らかに、殺人だとかが噛んでいますので、あれなんですが。

お不動さんがそんな犯罪めいたことを指示するはずも無し、

《裁判長は「欲望の-まま次々と犯行に及んだ」と指摘しました。》
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この方は信者さんを持って教祖みたいな事もやってたんでしょうから
なんらかの「力」の裏付けがあったのではないでしょうか ?

超絶過疎ブログのこことは偉い違いですな、^^)
お不動さん信仰して普通にやっていればいいだけなのに、毎度毎度
こういう方々は超えてはいけない一線を超えてきますね。

-----「問占」----

「占題」
『自称「霊能力者」女に判決 信者に女性殺害を指示』
『この自称「霊能者」の方は何らかの力があったのか?
あったとすれば避ける方法は如何に」

「沢風大過 初」
主卦「沢風大過 」(:||||:)
変卦「沢天夬  」(:|||||)
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「卦  辞」
「大過。棟撓。利有攸往。亨。」
「大過は、棟(むなぎ)橈(たわ)む。往くところあるに利ろし。亨る。」

「彖に曰く、大過は、大なる者の過ぎるなり。棟橈むとは、本末弱きなり。
剛過ぎたれども中、巽(したが)いて説(よろこ)び行く。
往くところあるに利ろしく、すなわち亨る。大過の時大いなるかな。」

「象に曰く、沢の木を滅(つ)くすは大過なり。君子もって独立して懼れず。
世を遯(のが)れて悶(うれ)うることなし。」

「沢風大過 初」
「初爻    爻辞    藉用白茅。无咎。」
藉「(し)くに白茅(はくぼう)を用う。咎なし。」
「象に曰く、藉くに白茅を用うとは、柔にして下に在ればなり。」
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----変卦「沢天夬」------

「卦  辞」
「夬。揚于王庭。孚号有厲。告自邑。不利即戒。利有攸往。」

「夬(かい)は、王庭に揚ぐ。孚ありて号(さけ)び、厲(あや)うきことあり。
告ぐること邑よりす。戎(じゅう)に即(つ)くに利ろしからず。
往くところあるに利ろし。」

「彖に曰く、夬は、決なり。剛の柔を決するなり。健にして説び、
決して和す。王庭に揚ぐとは、柔五剛に乗ればなり。
孚ありて号(さけ)び、厲(あや)うきことありとは、
それ危ぶむときはすなわち光(おお)いなるなり。告ぐること邑よりす、
戎に即(つ)くに利ろしからずとは、尚ぶところすなわち窮まるなり。
往くところあるに利ろしとは、剛長ずればすなわち終わればなり。」

「象に曰く、沢の天に上るは夬なり。君子もって禄を施して下に
及ぼし、徳に居ることはすなわち忌む。」
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「象伝」夬とは決である。剛(陽)が柔(陰)を決去することである。
健やか(乾)で説ぶ(兌)、------略--- 往くところあるに利ろし
というのは陽剛が長じ、あと一陰だけを決去すれば事が終わるから
である。(岩波 易経)

夬(本音は くゎい は)決去:決断:決開の意
「夬」(本音は「くゎい」)は決去・決断・決開の意、卦の五陽が
一陰を決去する象に取る。月にあてれば三月の卦、人事をもって言えば、
君子が小人を排斥決去する象。・・以下略・・

《序卦伝に「益してやまなければ堤の決(き)れるようなことになる
。だから益卦には夬卦が次ぐ》
※ 本田斉氏 易 より
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「沢天夬 初」
「初爻  爻辞   壯于前趾。往不戦為咎。」
「趾(あし)を前(すす)むるに壮んなり。往きて勝たざるを咎となす。 」
「象に曰く、勝たずして往くは、咎なり。」
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「象伝」勝てないとわかっていて行くのは、咎である。
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「岩波文庫 易経」より  以降引用は同左
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--本占コメント---

「沢風大過 初」
主卦「沢風大過 」(:||||:)
変卦「沢天夬  」(:|||||)
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これはざっとみて ご本尊さんの明かりが見えないね、
metujin  が勝手に卦徳を作るならこんな感じの象になるんじゃない
でしょうかね。

主卦「火風鼎 」(|:|||:)
変卦「山風蠱 」(|::||:)
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こうすると寺院の中にほとけさまの明かりが観える。
観えはするが、気を抜くと腐敗する。 ^^)

少し遊んでみましょう。

「占題」
「神仏が本当に鎮座されている宗教団体の象を教えて下さい。」

「火水未済 初」
主卦「火水未済」(|:|:|:)
変卦「火沢けい」(|:|:||)
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metujin もまだまだ修行が足りませんね、外卦の「離」に動きがあって
はいけないんでしたね、 ^^)
外卦の神仏がそうそう簡単には動いてもらっては困りますからね。
しかも metujin  が作ったのは「商業」の象であり、
従属した信者さんや、従業員を抱えるそんな感じのところになりますな。
しかも集まってる信者さんは「巽」の商売だとかそんな目的がある
ような人ばかり、これだと普通一般の会社の象でありまして
どっちかっつうと借金取りが集まっている象、

「辞」はというと、

「火風鼎 四」
「四爻  爻辞  鼎折足。覆公そく。其形渥。凶。」
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これは「反省のおさるさん」になるしかないです。 ^^)

-----この拝み屋さんの力とはなんだったのか ----

 本占「大過 初」に裏事情を伺ってみますと

「山雷頤 初」となります。
主卦「山雷頤 」(|::::|)
変卦「山地剥 」(|:::::)
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「頤」は「おとがい」であり「口」でありますからここは「説法」
といいたいところでありますが、表面には「経典」のようなものは
見えませんのでこれが意味するところは「お告げ」のようなものか
「占い」、でやってきたのではないでしょうか。

ではありますが
その信者さんであるところの「震」(::|)が剥落の象
でありますので、なんらかのパフォーマンスを○○○演する必要に
迫られたという事のようです。 「夬」卦の象

建屋の中には真の宗教的なものは空っぽで何もないですからね、
これは厳しいかなと思われます。

----本当の信仰には大仰しいものは必要無い------

「象に曰く、沢の木を滅(つ)くすは大過なり。君子もって独立して懼れず。
世を遯(のが)れて悶(うれ)うることなし。」

「沢風大過 初」
「初爻    爻辞    藉用白茅。无咎。」
藉「(し)くに白茅(はくぼう)を用う。咎なし。」
「象に曰く、藉くに白茅を用うとは、柔にして下に在ればなり。」
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仏教では「世間」「出世間」などと云ったりします、

「・・世を遯(のが)れて悶(うれ)うることなし。」
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教えと云うのは「出世間」の教えになり、この欲からなる
世界から「出て」しまう為の教えになりますのでそもそもが、
「大仰しい」ものは必要がない、

藉「(し)くに白茅(はくぼう)を用う。咎なし。」
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有名な「達磨大師」と「武帝」の問答がありますが、あんな感じに
なるのではないでしょうか。

その為には 「沢風大過」(:||||:)の陰陽を動かして
「風沢中孚」(||::||)「大離」大きな「智慧」とする必要が
ありますので、最低でも宗教の門を叩く方は基本的な宗教仏教
の知識位は抑えておく必要があるものと思われます。


----カルト霊感商法系のところがターゲットにするのは
悩み事がある人達 -----------

「沢水困 上」
主卦「沢水困 」(:||:|:)
変卦「天水訟 」(|||:|:)
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「上爻  爻辞  困于葛るい。于げつごつ。曰動悔。有悔征吉。」
「葛るい(かつるい)にげつこつに困(くる)しむ。ここに曰く動けば悔あり。
悔ゆること有りて征けば吉なり。 」
「象に曰く、葛るいに困しむとは、未だ当たらざるなり。動けば悔あり、
悔ゆること有れば吉なりとは、行けばなり。 」
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「・・ここに曰く動けば悔あり。悔ゆること有りて征けば吉なり。 」

困った時程軽々しく動きまわったりしないで、落ち着いてよく考えるなり
ある程度の知識をいれた上でその方面の「識者」に相談してみると
云う事のようです、

どうしても「宗教」だとか「占い」はカルトリスクの方が高いですからね、
なので仕方なくそういったものに相談するのであれば
「鼎」と見込まれる宗教家なり
占い師なりに相談してみると云うこと、
「上爻」「初爻」深入りは絶対にしない心構えでと云う事に
なるようです。 詳しくは上段に引用した「オセロ中島氏騒動」の項を
ご覧下さい。


----- 追記 ------

稀に禅宗でお不動さんをお祀りしているところがあるようですが、
お不動さんと云えば普通は「密教」「後期大乗」ではないでしょうか。
仏教的に云えば「密教」はヒンズー教化した仏教であり、あまり芳しい
ものではありませんが、個人的には ちょっとした思い出があります。

近所に毎朝よくお勤めされる寺院があり、昔、そこに朝たまに
お参りしたりしてた頃があり、
そこの住職さんは護摩を焚いてから何かお話するわけでもない方なの
ですが、ある時前の日の夕方位ですかね、
声がするわけでも 何があるわけでもないのですが、翌朝寺院へ
来るようにと云うメッセージをを頂いたので、なんだろうと思って
行ってみたら自分と同じような境遇の方が来ておりまして、
ちょっとしたアドバイスといいますか立ち話をさせて頂いた事があります。
あれは不思議な感覚といいますかこういう事もあるんだなと
云う認識で帰った事があります。

なのでものの良し悪しは宗教の世界にもあるのではないで
しょうか。

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