2016年3月5日土曜日

共通 ② 『 志賀原発問筮中始末。「風火家人 五」』






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② 『 志賀原発問筮中始末。「風火家人 五」』

◇「サブタイトル」
『間違いを認めず是正しない「無謬の神様」は「疫病神」の方式』


◇ これは昨日投稿した、


http://blog.livedoor.jp/metujin-ekikyou/archives/46995267.html
2016/3/46:16
共通 『 志賀原発問筮中始末。「風火家人 五」』

///// 引用ここまで /////

の継続「雑談」を別枠にしたものになります。

*** 別枠雑談 ***

 志賀原発を所管される北陸電力様とはロゴが別ですが、これまでこの原発
問題を代表して「天風女后」つまりは「TEPC○」、この東電さんの○○で
もって論じてきたわけです。

名は体を表す、そのままです。
「女后」は毎度批判する「お局様の疾(やまい)」の象辞でもあって、

この特徴の一つに「反省せずに否シテの泰」へ走る癖のようなものがある
わけですね。
互卦内情「乾為天」(||||||)ですからこれも易の象そのまま。

以前より書いておりますように、

泰の陰陽は上爻に進むと、「城空堀に帰る」でありまして、私としては
そうでは無く、反省を積み重ねて「大畜 上」爻になる方を勧めているわけ
です。

「地天泰 上」(:::|||)「上六。城復于隍。勿用師。自邑告命。貞吝。」
「山天大畜上」(|::|||)「上九。何天之衢。亨。」


「大畜 上」は「反省測量方式による視野の上昇」として投稿してきた
ものであり、
反省すれば、点が線になりやがてそれが立方体の形をとって全体像が俯瞰して
眺めることができるようになる。

例としては伊能地図「大日本地図」がそれになるわけです。
( これは足で測量して歩いたものが人工衛星の高見に登ったのと同じ結果
 をもたらしたということ。)

戦艦にも着弾点を観察して調整させる為(た)めの着弾観測、そして飛行機すら
運用されていたわけですから、

何事も一発アテ物では無く、反省によって「調整 俯瞰 視野の上昇」といった
作業が必要になる、というかそうするのが一般的なわけですね。
( 意識するしないにかかわらず、ベテランと呼ばれる方々は自然これを
 やっているわけです。)

したがって何事も「間違うことは悪では無い」わけです、

ですが問題点としては「間違うことを悪」としてしまう、

「無謬の神様、疫病神を生み出す白黒マークシートお受験方式。」
「テストで高い点数とったら人生勝ち組の発想」

から来る弊害になるわけです。

私はこれを『間違いを認めず是正しない「無謬の神様」は「疫病神」の方式』
と呼んできたわけです。


 ◇過去ログ引用「無謬の神様は疫病神の方式」
 http://blog.livedoor.jp/metujin-ekikyou/archives/37427838.html
 2014/4/85:58
 metujin ekikyou 日誌 ツイッター篇共通 
 ③「易占後始末」「猪瀬前都知事の話題から原発統治の話題へ」

 ---略---

 『原発統治も○× オセロ方式
  「否を以テの地天泰」「無謬の間違いを認めない神様疫病神方式」』

  以前から電機系労組の
 方々が一企業単位で万単位のリストラに遭い、確か自殺者まで出したかと
 記憶しておりますが、
 そんな環境にまで追い込まれたのに、我が国はその円高政策を改める事が
 無かったわけであり、これまでもそれを批判してきたわけですが、

 この元は三橋氏が指摘されるところの官僚さんの絶対に間違いを認めない
 「無謬性」とリンクするわけであり、
 自分はこれをして「無謬の神様」は「疫病神」の如クと批判
 してきたわけです。


 ○×丸バツ統治方式、「否シテの泰」がそれになるわけです、
 これはマークシート方式といってもよく、
 学校や試験で高い点数とったら人生勝ち組の思考パターン「否シテの地天泰」
 そのものとも云えるわけです、

 今自分の文章を見返してみますに、この原発災害も畢竟この「否シテの泰」
 「無謬の神様」は「疫病神」の方式なんですね。
 ~~~~~~~~~~~~~~

 ///// 引用ここまで /////


 我が国の統治方式の根本的問題、宿痾はこれであり、

 そうでは無く、米英「坎」(:|:)民族の方々に倣って、
「坎」(:|:)の論理的教育を施す社会的制度が無い限りは、かような間違い、
(否シテおけなくなった上爻、リミットに至っての災害)を延々と繰り返すこと
を理解されるべきではないでしょうか。


◇「原発安全神話の為(た)めにダメージコントロールの議論まで蓋した弊害」

以前も投稿したことですが、福一原発災害が起きる遥か以前に、丁度
私が電気の仕事を覚えてきた頃に某掲示板の電力板で原発議論に参加した
ことがあるわけですが、

そこには何故か電気の薫りのしない方々が安全意見まで蓋して「叩いていた」
わけですね、
私は大規模なビルであるとかの定期点検などもやっていましたので、
大電源が落ちた場合の問題は理解してましたので意見を述べたわけですが、
何故かそんな意見まで「悪と見做されて叩かれて」いたわけです。

 世間はこういうネット上の○○を請け負う会社様もあるのだという、
( ただ実務の薫りのしない方の意見は解るわけですね。 )


最低限、リスクコントロールであるとかダメージコントロールの議論まで
蓋するようではこれは「人災」になるのでありますから、
今後はかようなことはひかえるべきでは無いでしょうか。



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*** 追加の追加雑談 ***

 福一原発災害が起きてからも、何故か実務の薫りのしない方が例によって
掲示板上の批判意見に○○されていたようですが、
( たとえば発電機の問題等々 ・・ )

いかな業界の方であっても知識だけある方の文章と「実務経験」のある方
の文章は「解る」のでは無いでしょうか。

福一の例をとってみれば、
20年前に東電社員の方が指摘していた非常用発電機室冠水のリスク
(インシデント)であるとか、実際災害が起きたときには、今度は電源車は
到着しても、ケーブルが短いだとかプラグが合わないだとかがあったわけ
ですね。

単純に発電機を用意したからといっても、実際使えるものでなかったら意味が
無いわけです。
( 上記実績があるから私が単純思考へのリスクを述べたわけですね。) 

 実際やるときになって小さな段取りに大事な時間を食われて ・・・ という
のが往々にしてあるわけですね。
( なので事前にありとあらゆる段取りをやっておく必要があるわけです。)


 はっきりいって福一原発災害は日本人全部が行き場の無い難民になりかけた
案件ですので、こういう小さな世論○○までやってほしくないというのが
私の心証になるわけです。

「福一原発災害」というのは、「無謬の神様は疫病神の方式」「否シテの泰」
が上爻にまで達し、ありとあらゆるものが卦外上爻、つまりは世間はおろか
外国にまで実態が伝わったということになるわけです。

なので「回転ドア事故の反省からインシデント管理」に方針転換した
森ビルさんに学ぶべきなのです。



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