2015年2月19日木曜日

metujin ekikyou 日誌ツイッター篇共通 入院記念 ③  「仏教の話 教師の握り拳は無い、グレーゾーンの論理継続 & 苦悩の管理   裏綯うは裏を取る作業でもある。」






metujin  ekikyou  日誌ツイッター篇共通
入院記念 ③ 
「仏教の話 教師の握り拳は無い、グレーゾーンの論理継続 & 苦悩の管理 
 裏綯うは裏を取る作業でもある。」


◇「サブタイトル」
これまでのまとめ、
「般若心経は 仏教の精髄を説いたものであるが故に霊験あらたか。」


◇◇
 前回投稿したものはやたら長文になりましたので読者様方も機嫌が
斜めかと思いますが、今回はもっと斜めにしたいと思います。 ^^) 

 自分がこの系統で書いているのは、それこそ○大な授業料を払うか、時間を
費やしたかしたものでありますので、
これを投稿してまで読者様方に媚びるつもりは毛頭ありません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

( この前死に掛けましたので、既に人生の大晦日の段取りに入ったと
 いうことですね、^^)) 

易にしても未だ未だ未熟ではありますが、既に数年の時間をとって投稿して
きたわけであります。 ^^)  

昨今は欧米「坎」(:|:)民族の方々の「統治手法」を解説するついでに 
「目先小人占」「君子統治占」筮前の審事に関わるパターン別けの他に、

「禍福はあざなえる縄の如し」「占いは裏綯う也」
「坎離」は「管理」等々説いているわけですが、 


 陰陽の理から言えば、「欧米坎民族」の方々がやるように、 
 汝の敵(批判)を愛せよ方式、「坎」(:|:)「離」(|:|)のフォーメーション
 を取るのが一番賢いのが解るわけです。

  今敵と思っている意見や人は物事が裏返った時には味方になる
 部分なのですね。 」

 
 ◇「参考過去ログ引用」(引用の引用アリ、注意)
 http://blog.livedoor.jp/metujin-ekikyou/archives/42527527.html

  昨日投稿した「坎」(:|:)民族たる欧米の方々の統治方式
 (裏綯う) 方式。


 http://blog.livedoor.jp/metujin-ekikyou/archives/42512233.html
 《◇
  「サブタイトル マル×マークシート方式、間違いを認めない
   無謬の神様は疫病神方式」と「汝の批判を愛せよ方式。」》


 《◇「光明 面」
  「汝の敵を愛せよは汝の批判を愛せよ方式」

  世界を征服した欧米「坎」(:|:)民族の方々はそのリスクを按分する
  割合がちょうと三分の一、三分の二、になっているのが解るのではないで
  しょうか、
  彼等はその論理的な思考パターンによって終には世界の三分の二を手中に
  納めるようになった。

  実に「汝の敵を愛せよ」(汝の批判を愛せよ)方式はこれだけのことをやって
  のけるわけです。 》

  ///// 引用ここまで /////


 ◇「参考過去ログ グレーゾーン」
 http://blog.livedoor.jp/metujin-ekikyou/archives/42812934.html
 五行思想に於いても

  ◇「参考ウィキペディア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3
 《五行の互いの関係には、
  「相生」「相剋(相克)」「比和」「相乗」「相侮」という性質が付与
  されている。》

 とあるように、世間は白黒ばかりではないが、何故かこれを白黒でしか判断
 されない方々がいるわけです。
 (日銀政策だけでなく以前投稿した原発村の方々の世論○○なんかもそうですね、
 安全の為の意見すら左扱いにされて○いてましたし。)

 (かつて円高政策を止めず、電気労組の方々が困窮された経緯、
 オセロ、マークシート方式、間違いを認めない無謬の神様は疫病神の章参照 )

 これもまた「天地否の弊害」「否シテの泰」の特徴の一つになるのでは
 ないでしょうか。(|||:::)
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 (要するに彼らの世界観というのは、「相生」「相剋」白か黒かしかなく
 物事をそれでしか捉えられていないのが解るわけです。)

 ///// 引用ここまで /////


◇ 今までの焼き直しになりますが、この「坎」(:|:)「離」(|:|)
「管理」方式ならば黄色と黒の虎ロープと同じで物事が裏返ったとしても
どちらかに
陽爻が必ず残った状態にあるわけです。

 またこれは保険の考えに通じ、先のグレーゾーンを味方につけることにも
寄与します。

 これはセーフティの考えでもあり、水爆搭載爆撃機が墜落してさへそれが
機能して誤爆させなかった大本の論理的思考の賜物になるわけですね。
これこそが米英「坎」(:|:)民族の方々の強さの根源になるわけです。 
これが言語にまで仕組まれた論理的思考であり、
「汝の敵(批判)を愛せよ方式」になるわけです。 

それに比べて我国では原発すら ・・・
これが所謂「否シテの泰」方式 。
所謂我国は 文明を扱うまで統治者側が進化していないといういことになる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
わけです。
~~~~~

話を欧米「坎」(:|:)民族の方々のところまで戻して、
物事が意図したこととは裏返る反転対策として、

「物事を決めるには三分の二あればよい、三分の一は自分への批判意見として
残すやり方」をすると逆に批判者を探すような感じにもなっていくわけです。
(誰もいなかったら自己批判。)

 とすると精神的には苦悩もまたその分減るというか按分されるのが
解るのでは無いでしょうか。

これに加えて本来の仏教の論であるところの「感覚器官とその対象の論」を
使えば更にこの精神的な苦悩管理に役立つかと思われます。

(私は 苫米地博士がぼろぼろに間違えていると批判する般若心経にて
 コメントしますが、原始仏典を翻訳された本は図書館行けばあるわけです
し、どんなことであっても裏を取る作業は読者様方にあるわけなんですね、
なのでその作業は読者様方の持分です。 )

なぜならば
「裏綯う」というのは貰った情報の「裏を取る作業」でもあるからです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(この観点からも欧米「坎」民族の方々の情報組織が強いのが解るのでは
ないでしょうか。) 

これをやらなかったら「天地否」全部お任せ状態にしてドツボにハマる
懸念が残るということです。 
(自分で考え自分で気づくというのは総ての基本になる姿勢です。)


◇◇「感覚器官とその対象の論、般若心経は仏教の精髄」
(感覚器官とその対象によって固く結ばれた我執をほどくのが ホトケ )


◇参考資料「ウィキペディア般若心経」 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C

引用は当該部分のみ、
《是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、
無色・声・香・味・触・法。》

細かな前後の言い分は抜きにして「感覚器官とその対象の論」になっている
のが解るのではないでしょうか。
要するに一つ一つの感覚器官とその対象によって「識」が生じそれらが合成
されて「我執」→「苦悩」にまで発展するんですね。
「空も縁起もこれを云わんが為のものなんですね。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これは囚われる心でもありますから、先の「天地否」に繋がっていく
ある種の力になるわけです。 
~~~~~~~~~~~~~

これが所謂「受・想・行・識」になるわけです。
まずは感受ありて ・・・

私見ですが、般若心経は亡くなった方々にこれらを説いて聞かせ、迷いを
払拭し行くべきところへ導く経典として工夫されたものだと思うわけです。

 そもそも動物としての感覚器官を前提に「我 、私、自分」というものを
考える必要性は無いんですね。
~~~~~~~~~~~

なので三法印に曰く。「諸法無我」があるのではないでしょうか。
お釈迦さんは「教師の握り拳は無い」と云った方ですので、これらの経典を
前にして何かしら秘されたものがあるかの如く ・・・・
の方々はあまりご理解されていないか、他に何かの○○があって ・・・

また自分はこの概要を理解してからは、自虐ネタが大好きになったわけなん
ですね、 ^^)
ただ、易からは「大有 五」(|:||||)
「六五。厥孚交如。威如。吉。」
「象伝曰。厥孚交如。信以發志也。威如之吉。易而无備也。」

威如を失くすのは「聞く側が耳を傾けなくなる。」これは大いに問題が
あるから止めとけという指摘が入っているわけです。

◇ 
 そもそもの苦悩はこの「感覚器官とその対象によって合成」された
意識から起きるものですから、これがコアになるようです。

ただこういうものは本来、禅定を作ってやる諸々の作業があるわけですから
われわれのような庶民レベルですと、完全に滅尽するというわけには
いかず、できるのは先に書いたような「坎」「離」(管理)ということに
なるのではないでしょうか。

 これだけでも気楽になりますけどね。
お釈迦さんは即効性があって誰にでも理解できる ・・・・ と述べている
ようです。 


◇◇
「感覚器官とその対象から生じ、合成されるものを外から眺めてみる。」

これは一旦意識を外に置いて、何か人に言われて腹が立っただとか、美味しそう
だとかの(合成)を外から眺めてみる工夫をするということですね。 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 自分の場合ですと、逆に自分の目前でそれを合成させてみたりすると
いうことであり、
甚だしい場合は易卦にてその陰陽を眺めてみたりするということです。


本来の仏教では占いの如きは禁止するのでありますが、「意馬心猿」といって
心が未来に行ったり過去に行ったりして現実の観察をやらなくなる
弊害があるからですね。

 ものごとを解決するに於いては先ず今置かれた立場、状況を観察する
ことから始めないといけないわけです。 
これは筮前の審事とも関係してくる概念ではないでしょうか。

◇◇ 
「火沢けい 四」(|:|:||)変卦「山沢損」(|:::||)
「九四。?孤。遇元夫。交孚。厲无咎。」

 本来の仏教には利益を講じるだとかいった概念は一切無いんでありますが、
日本だけでなく、北伝仏教は僧院定着型にしなかったらその継続が危うかった
わけです。 

ただ、近年はここに付け込まれて善意が裏返るカルト霊感商法の花盛り
状態になりましたが、 ・・・
また古い日本の寺社仏閣を残していくといったことも必要でありますから、 
どうしても人それぞれ、自分と家族を守る手立てだけは持っておいてください。
易は公に関係する問筮ならば、しっかり仕事をしてくれるようではあります。


「雷火豊 四」(::||:|)(:::|:|)
「九四。豐其蔀。日中見斗。遇其夷主。吉。」

伽藍や寺格を誇るといったことでは無く、お坊さん方もたまには図書館にでも
行って学習してみるのも大事ではないでしょうか。


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*** 追加 ***

 病院さんで気づいたのですが、

女将さんとお局様の違いとでもいいますか、
「山風蠱」(|::||:) 世間目線「沢雷随」(:||::|)

この「蠱」「随」「公の中の私」を次に考察してみたいと思います。
これを書くと病院関係者の方々や、女性読者様を不快にさせてしまうかも
しれませんが、
( 女性の方は読んでおいて損は無いと思いますが。・・・)

 易からの指示ですからね。

本来はこういうのは身内で批判するような内容ですからね、書くのはいかがな
ものかとは思いますが、一応前ふりだけしておきたいと思います。


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