◇ metujin ekikyou 日誌
【日韓】 安倍「伊藤博文は偉大」、再び歴史歪曲妄言→ネチズン
「日本は戦犯種族」
「火雷噬ロ盍 三」
---◇記事引用
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1373106795/
【日韓】 安倍「伊藤博文は偉大」、再び歴史歪曲妄言→ネチズン
「日本は戦犯種族」★2[07/06]
1 :帰って来た仕事コナカッタ元声優 φ ★:2013/07/06(土)
19:33:15.84 ID:???
http://file.dailian.co.kr/news/201307/news_1373078860_352488_m.jpg
▲日本の安倍内閣の試金石となる参院選挙が公示され、安倍総理が
福島で街頭遊説している。
日本の安倍晋三総理が5日、日本帝国主義侵略の先頭に立った伊藤博文
を「尊敬されている偉
大な人物」と再び歴史歪曲妄言を吐き出した。
---略---
************
---◇前段
伊藤公は嘉右衛門さんと交際が深かった関係上、嘉右衛門さん
の残した資料は歴史資料としても価値があるものと思われます。
以前も書いたようになにせ初代首相に就任する際に相談した位であ
り、終には縁戚関係になったようですからね。
---◇「自ブログ抜粋引用」
http://blog.livedoor.jp/metujin-ekikyou/archives/27775223.html
《2013/6/12:1》
《◇metujin ekikyou 日誌 ツイッター篇共通
「易の辞と当落、当て物 小人は能わず、そして政治との関係」》
《◇サブタイトル
「人が欲しがる未来&内容情報には大別して三種類あり、利益には
二種ある。更に君子が必要とする情報に二種ある、」》
《 なんとこの卦は初代総理大臣にして日本初の内閣を組織された、
《「伊藤公(伊藤博文)」が嘉衛門さんに相談された際に出された卦
なんですね。 ^^)
◇論拠
竹中利貞氏訳注 高島嘉右衛門占例集 58p~「屯 三」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87
「初代、五代、七代 十代 初代貴族院議長、・・・」
そりゃ草創期のワケワカメの時期で案内人ナシってのも頷けますな。
なのでこれも選挙も何もそんな事が出来る人材はそう居ないわけ
ですからね、ただ、「離」たるその公的な位置についてからが厳しい
と云う事。》
*** 引用ここまで ***
これはブログ冒頭の案内URLに入れたものなので、読んで貰えれば
読む方の利益に適うかと思われます。
小人が欲する情報を三爻として、君子への情報を五爻として説明
してあります。
□
主卦「火天大有 三」(|:||||)
変卦「火沢けい 」(|:|:||)
「三爻 爻辞 公用亨于天子。小人弗克。」
「公もって天子に亨(きょう)せらる。小人は克(あた)わず。 」
「象に曰く、公用て天子に亨(きょう)せらる。小人は害あるなり。 」
三爻の部分は社会に害があるものとして易の辞は対応していない
ようです、所謂戦争系のもの、
博打の○○だとか、投機係等々、これは戦争系の陰陽なので、易は
世間目線「風火家人」
「民」の体から血が流れるのを特に嫌いますので、インターロックが
掛かっているようです。
畢竟「民」の幸せの為に聖人がこれに辞をかけているわけですから
それに上記の戦争系のお伺いをするのはちょっと ・・
といったコトになるわけです。
これを書くとお前嘉右衛門さんは戦争の占を残しているでは無いか、
と反論されるかもしれないが、これは上爻、火の粉を払うであるとか、
リミット限界パッツンパッツンの状態の時くらいは手を
貸さないコトも無いとの事。
まあこちらから不当な利欲の為にヘタしたら「民」の体から血を
流すようなのは ・・・
※ 自分は聖人君子では無いのでこの先は・・・
なんでありますが、
ただ問筮前に、本来こういったコトで「易」に伺うのは○○○では
あるが、・・
程度のコトは述べるなり、思うなりはするようにはしているつもりでは
ありますが、 ・・ つもりです、つもり、・・ ^^)
逆を云えば、この理を前提に、理解した上で易に問えば、
易はよっしゃ、と云うかどうかは知りませんが、見識の力を貸して
くれるわけです。
実業に関わるようなのは、これは五爻に対応しますのでまた別ですが。
これは設備投資、復興投資等々、為政者や家計を預かり世間を面倒
観る方々に関しては逆に背中を押すなり、待て、といったり、撤収
とヒントをくれたりするようです。
所謂 易は大小あれど、政治用なんですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
metujin 如きがこういうのもなんですが、こういう前提で問筮
する分には十分社会を利益する器だと思いますよ。
先の嘉右衛門さんに相談した伊藤公のものは、初代首相に就く
時のものですからね、
その時の得卦は
「水雷屯 三」
主卦「水雷屯 」(:|:::|)
変卦「水火既済」(:|:|:|)
「水雷屯 三」
「三爻 爻辞 即鹿无虞。惟入于林中。君子幾不如舎。往吝。」
「鹿に即(つ)くに虞(ぐ)なく、ただ林中に入る。君子は幾(きざし)をみて
舍(や)むるにしかず。往けば吝なり。 」
これを○○の勝敗のようなもので尋ねて、
「易占いは当たらない見本」
とされている方をお見受けしたのでありますが、
そうでは無いんですね、伊藤公の占例で謂うと維新の魁、初代首相に
就任されたわけですからこれは目先を観るならば、三爻が変じて「離」
たる輝きがある事になる。
ですが、その「離」たる役目に就いてからが創業の「屯難」の時節に
あって案内役が何処にも居ない。
なので相当苦労するのでこの辞が掛かっている。
目先の三爻の勝敗のみが欲しい方にとっては当然「当たらないから
使えない見本」になるわけです。
これが上記に書いて来た事の論拠になります。
追加、「屯」は「火風鼎」のカマドをひっくり返した
後に新たな「鼎」を造る為の草創の難である旨書いて来ましたが
徳川政権を倒して新たに明治政府を造ると謂うのも当然「屯」の陰陽
になるわけです。
---◇ということで今回のテーマに戻ります。
嘉右衛門さんの占例を読むと、嘉右衛門さんの時代からお隣の
朝鮮には手を焼いていたようで、
まして、伊藤公は併合反対派でしたしね、併合反対の方を暗殺した
方が義士と謂うのもイマイチ理解に苦しむ事であります。
---◇自ブログ引用
http://blog.livedoor.jp/metujin-ekikyou/archives/24513187.html
《《そもそも伊藤公は朝鮮のテロリスト安重根によって殺害されま
したが、伊藤公は併合反対派だった方です。
http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-949.html
《【韓国併合 伊藤博文のメモ見つかる】》
《・専門家は、伊藤博文が併合に否定的だったことを裏付ける新たな
史料として注目しています。》》
---◇西郷さんウィキペディアソース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B
征韓論の西郷さんなんかは内戦やって自刀されましたしね。
またこの西郷さんの征韓論を封じたのも伊藤公の仕事のようですし、
《 一足先に帰国した大久保、木戸の二人にしても、西郷隆盛が
命をかけて主張したこの理想論に対しては正面から反対することは
できなかった。そして伊藤博文は明治六年九月十三日に帰朝し、
翌日から征韓論反対の政治工作を開始する。》
※(高木彬光氏著、「横浜」をつくった男 易聖高島嘉右衛門の生涯
光文社文庫。342p )
---◇征韓論ウィキペディアソース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E9%9F%93%E8%AB%96
《後年渋沢栄一は「韓国に対する私の考えは、三韓征伐とか朝鮮征伐
とか征韓論とかに刺戟せられたものであろうが、兎に角朝鮮は独立
せしめて置かねばならぬ、それは日本と同様の国であると考えていた
のである」と日清戦争後の対露強硬路線に同調した経緯を述べた》
《そのように日朝双方が強気になっている中で明治維新が起こり、
日本は対馬藩を介して朝鮮に対して新政府発足の通告と国交を望む
交渉を行うが、日本の外交文書が江戸時代の形式と異なることを
理由に朝鮮側に拒否された[5]。
明治3年(1870年)2月、明治政府は
佐田白茅、森山茂を派遣したが、佐田は朝鮮の状況に憤慨し、
帰国後に征韓を建白した[6]。9月には、外務権少丞吉岡弘毅を釜山
に遣り、明治5年(1872年)1月には、対馬旧藩主を外務大丞に任じ、
9月には、外務大丞花房義質を派した。
朝鮮は頑としてこれに応じる
ことなく、明治6年になってからは排日の風がますます強まり、
4月、5月には、釜山において官憲の先導によるボイコットなども
行なわれた。ここに、日本国内において征韓論が沸騰した。》
《況や朝鮮は皇國を蔑視して、文字に不遜(ふそん)有りと謂(い)
う、以って耻辱を皇國に與(あた)う、
君を辱らるれば臣は死す、實(じつ)に不戴天の冦(あだ)なり、
必ず之を伐たざるべからず、之を伐たざれば則ち皇威は立たざる也、
臣子に非ざる也」。》
*** 引用ここまで ***
□昔から変わってないといいますか、太平洋戦争が終わってこの頃
に支配階層だった
両班の方々が戻ってきて政治を司っているようですので、先祖帰り
しただけなんじゃないですかね。
伊藤公の暗殺懸念は嘉右衛門さんも「艮為山 三」を得て引き止め
工作をしたようですが「伊藤公」がそれを押して出かけられての
事だったようです。
※論拠(高木彬光氏著、「横浜」をつくった男 易聖高島嘉右衛門の
生涯光文社文庫。389p )
《・・その判断は信用いたしましょう。しかし今度の満州旅行だけ
は、どう言われてもやめられません》
---◇「問筮」
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1373106795/
《【日韓】 安倍「伊藤博文は偉大」、再び歴史歪曲妄言→ネチズン
「日本は戦犯種族」》
---◇「問筮本文」
「 常に上位にある者(国)に麗いて事大するのは朝鮮の伝統政策
でもあるが、日本側としても合邦して共に苦労したご先祖様方の名誉
を毀損されてまで、といった異常な事は眉をしかめるしかない、
また、
日本が大政奉還し諸外国と国家としてのお付き合いをするように
なった中、国交を望む交渉そのものをも朝鮮はそれを拒否し、
日本は朝鮮出兵の征韓論一つで内戦にまで突入した歴史を持つ。
伊藤公は最後まで併合反対派だった方であり、本来なら韓国に顕彰
されてしかるべき方では無いか?
これまで嘉右衛門さんの占例にも、日本の助けを借りて
立て直す占もあったように記憶しているが、こんな事を続けていた
のでは、易がこれまで metujin に示したように今後は日本側と
しては、何かにつけ助けの手を出しづらい事になるのでは無いかと
思う。
どんなに支え、どんなに施しても常に仇で返ってくる
のではやりようが無い。
この伊藤公の扱い一つにしても異常に偏った事大主義だとは
思うがこの陰陽を伺っておきたい、この陰陽とは一体何か。 」
『火雷噬盍 三』
---以降過去倉庫へ---
2013.08.
このブログはツイッター篇の下書きみたいなものなので
もし興味のある方はツイッター篇をご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/metujin-ekikyou/
権力批判的な事が大半ですので、こちらはある程度時間が経ったものは
消しております。
プラスしてブログ主の metujin は勉学浅く、タマに基本を忘れ誤占
したりしてますので、真似するような方はいないと思いますが、
一応正規に易を学ぶ方に迷惑をかけない為の措置でありますので、了承
願いたい、尚特別なものや当て物系の「占」に関しては読む方が検証
できるよう、誤占も含めて残すようにしてあります。
敬白 。
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