ここはブログ主の「metujin」が社会問題その他「易」に 尋ねたものを解読する「易卦妄想ブログ」です。 metujin ekikyou 日誌は易卦妄想ブログですので 一切の責任の類は負いかねます、了解の上読んで下さい。 典拠は主に「岩波文庫 易経」を引用させてもらっています、 我流でありもし万が一参考にされる方がいた場合は迷惑をかける 可能性もありますので注意事項にも目を通して貰えればと 思います。注意事項アドレスは以下。 http://metujinekikyou.blogspot.jp/2013/04/metujin-ekikyou-metujin.html http://blog.livedoor.jp/metujin/archives/6458861.html http://metujinekikyou.blogspot.jp/2013/06/metujin-ekikyou.html ◇人が欲しがる未来情報の種別、君子用 小人用。
2016年12月31日土曜日
◇ 「2016年 metujin ekikyou 日誌大晦日によせて。」
◇ 「2016年 metujin ekikyou 日誌大晦日によせて。」
◇「サブタイトル」
『(今年最後の振りほどき)読者様方の嫌いな仏教の話題にて今年の
締めくくり』
『「これが「ハンバーグ定食」でいえば「ハンバーグ」そのものになるわけ
ですね。
「空」「縁起」はそれを解説するための「付け合わせ」(目玉焼きだとか
ポテト、キャベツに相当するものになるわけです。)
ハンバーグ定食からハンバーグを取ったら「ハンバーグ定食」つまりは
「仏教では無くなるわけですね。」
「なので空や縁起は本来、(蘊・処・界)三科とセットでないといけ
ないわけです。」』
◇◇
今年も私の乱筆乱文、つたない文章にお付き合い頂きいただきありが
とうございました。
私の文章そのものがヒジョウに支離滅裂にて解読困難かとは思い
ますが、 ^^)
呑象テキストの秘伝発掘、山天大畜方式、占例の足場による視点視野の
上昇を以て問題を俯瞰して眺める方式。
(結果として筮前の審事に係わるパターン別けの発掘)
私の喘息呼吸困難闘病録等々、読めば
読んだだけ読者様方の利益に適う仕様になっている筈です。
筈) ^^))
なので旅人さん方にも説く通り、私を憎んでも構わないですから
よく読んでください。
逆を云えば読む気の無い方を集めるつもりは毛頭無いので、・・・
◇
百歩譲って私の
喘息呼吸困難闘病録は最低限読んでおけばどなた様にとっても
いつかは役に立つ仕様になっているはずであります。
(例によってこれは自分のリスクは総て自分で負うと達観できた方の
為めに残す道標になります、総て医療は医師薬剤師様の指示より
外れないようお願いします。)
( 法律に触れるだとか書けないものもありますが書けるものは
オープンですからね。)
不遜に思われるかと思いますが、こんな闘病実験報告は他には無いと
おもいますよ、
( 実際私自身何度も絶望感に苛まれましたしね。しかも喘息の薬
には欝になる副作用をもつのがあるみたいで、 ・・・ )
次第に薬を必要としなくなる方式というのはおそらく他には無いでしょう、
( これを書きますとオイオイ その胃腸の洗○剤瀉○薬とやらに
依存するだろうが、!
というご指摘があるかと思いますが、考え方と
して歯磨き粉同様、それ自体が血液の中に入って何かするといった
ものでは無いので、それは水分と併せ胃腸を洗浄するだけ、
「気管支に誤動作をもたらす異常ケミカルを排除洗浄するだけ ・・」
したがって歯磨き粉に依存すると云わないのと同じでは無いでしょうか。)
なんであれ何かに依存して生きるというのは推奨できないわけであり
ます。
◇◇
私は発作モードに墜ちても「ありのまま」「ギアチェンジ浮上」
しても「ありのまま」を心がけてきましたので、
私が何度か発作モードの
底に墜ちた際に見切ることをせずに、このツイッターブログから離れ
なかった読者様方は既に「目先の利益をものともしない君子」たる
方々では無いかと思うわけですね。
( これはお世辞抜きにそう思います。 )
◇
なので、今回は読者様方が一般的に嫌うであろう「仏教の話し」を
投稿したいと思います。
( 今年最後の振りほどきですねぇ、 ^^))
この前投稿したばかりでありますが、以下のテーマにて般若心経
の話題も投稿したわけですね。
◇「参考過去ログ引用」
http://metujinekikyou.blogspot.jp/2016/12/blog-post_21.html
2016年12月21日水曜日
共通
『「大壮五」「占いは裏付けを取る也、裏綯う也ロングバージョン」』
--- 略 ---
◇「サブタイトル」
『 以前より述べているように、司法職に在る方や警察官は
「裏付けとって」犯人逮捕したら終わりですが、社会的占筮と賢人君子
の教えを旨とする易においてはその先、「裏綯う措置」更には
未来に於ける「咎凶」の種を蒔かないことを旨とするわけです。』
///// 引用ここまで /////
この中にカル○、霊感商○の害を防ぐために苫米地氏の論を借りて
般若心経の話題を入れたわけです、
***** 再度提示しますと *****
善意を裏返す悪意、「カル○、霊感商○、依存ビジネスの害」を
防ぐ為に少し仏教の話しをしておきます。
◇「記事動画引用」
https://www.youtube.com/watch?v=YYJuwG28Fdw
苫米地英人が語るスピリチュアルの危険性
2013/10/17 に公開
コンテンツ、以下。
1、ラップ現象に対する江原啓之の誤解
2、ユリ・ゲラーはマジシャン
3、千里眼事件の功罪
4、催眠療法に効果はあるのか?
5、記憶が作られるメカニズム
6、スピリチュアリズムブームの源流
7、悪魔の正体
8、江原啓之の霊視能力とは?
9、永遠の魂 アートマンとは?
10、無限とは何か
11、「存在」の三視点 空観・中観・仮観
12、スピリチュアリズムはなぜ危険なのか
///// 引用ここまで /////
苫米地氏ほどの方が空観の説明に於いて 空の説明に「総ては幻」
「40:30」なる説明をされているようですが、&、
スピリチュアル的なものは仏教ではもともと「常見外道」というので
それの批判に異論は無いわけですが、
どうも「空」を ・・・・
私の理解を提示しておきますと、以前書いたように、
◇「参考過去ログ引用」
http://metujinekikyou.blogspot.jp/2015/02/metujin-ekikyou_19.html
2015年2月19日木曜日
metujin ekikyou 日誌ツイッター篇共通
入院記念 ③ 「仏教の話 教師の握り拳は無い、グレーゾーンの
論理継続 & 苦悩の管理 裏綯うは裏を取る作業でもある。」
--- 略 ---
◇「サブタイトル」
これまでのまとめ、
「般若心経は 仏教の精髄を説いたものであるが故に霊験あらたか。」
--- 略 ---
◇◇「感覚器官とその対象の論、般若心経は仏教の精髄」
(感覚器官とその対象によって固く結ばれた我執をほどくのが ホトケ )
◇参考資料「ウィキペディア般若心経」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C
引用は当該部分のみ、
《是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、
無色・声・香・味・触・法。》
細かな前後の言い分は抜きにして「感覚器官とその対象の論」になっている
のが解るのではないでしょうか。
要するに一つ一つの感覚器官とその対象によって「識」が生じそれらが合成
されて「我執」→「苦悩」にまで発展するんですね。
「空も縁起もこれを云わんが為のものなんですね。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
///// 引用ここまで /////
そもそも原始仏典では「六処相応」といって感覚器官とその対象の論が
柱の一つとして説かれるわけです、(蘊・処・界)三科。
感覚器官があって、その対象があってそれらの情報がインプットされて
脳内で合成されて「我見、我執」が出てくるわけですね、
なのでこの「我執が苦悩」の元になるわけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~
一番問題なのは感覚器官とその対象によって合成される「我見我執」
が問題になるわけです。
( これが在る意味病気の本丸 なのでこれを解くのに空、縁起を・・)
縁起と空の説明に於いて、この柱を抜いてしまうと在る意味仏教では
無くなるのでは無いでしょうか。
「縁起、空は存在の法則なので何にでも当てはまるにせよ、肝心の柱を
抜いてしまったら仏教からは外れるわけです。」
ちなみにカル○、霊感商○の殆どは「常見外道」になるんですね、
なので看板使われた仏教の責任では無いわけです。
少し蛇足になりましたが、知っておいて損は無いのではないで
しょうか。
**** 再度提示 ここまで *****
◇
まず苫米地氏程の方がこの「感覚器官とその対象の論」をとりあげず
いきなり「空」にいかれるのはいかがなものかと思うわけですが、
「苦悩の解消」を軸にして考えればいいわけですね、
「苦悩」が何処から出てくるかといえば、「我執」から来るわけで、
それはとりもなおさず「感覚器官とその対象」から情報が脳にきて
それが合成されて「識」を構成するからになるわけです。
なので原始仏教でも般若心経でも「五蘊」「受想行識」
《是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、
無色・声・香・味・触・法。》
を説くわけです。
これが「ハンバーグ定食」でいえば「ハンバーグ」そのものになるわけ
ですね。
「空」「縁起」はそれを解説するための「付け合わせ」(目玉焼きだとか
ポテト、キャベツに相当するものになるわけです。)
ハンバーグ定食からハンバーグを取ったら「ハンバーグ定食」つまりは
「仏教では無くなるわけですね。」
「なので空や縁起は本来、(蘊・処・界)三科とセットでないといけ
ないわけです。」
なので私はこれを理解してからは自虐ネタが大好きになったわけですが、
易から、社会的占筮として説く場合はそれをやると、
「火天大有 五」(|:||||)(||||||)
「六五。厥孚交如。威如。吉。」
「象伝曰。厥孚交如。信以發志也。威如之吉。易而无備也。」
威如が失われ、威如が無ければ人はその警報を侮った挙げ句
ドツボに嵌る可能性がある。 ・・・
したがって威如を無くしたのでは警報の意味が無くなるので止めよ。
という指摘を受けたわけです。
確かに苫米地氏が指摘されるように「般若心経」はある意味において
間違えているのかもしれませんが、この(蘊・処・界)三科とセット
しかも、これを全面に出しているわけですので、この教典を作成
された方は、原始仏典を隅々まで読み込んだ方であるのが解るわけです。
(しかも何故にこれが仏教国に於いて霊験あらたかであると尊重される
のかも理解できるのではないでしょうか。)
もっといえば、仏教は「スピリチュアル的常見の毒」からも先祖の霊
がぁ ~ といった霊○、カル○的毒からも離れたものであるのが
理解できるわけです。
(もっというと超能力で釣るようなのも ・・・ )
実際これは「即効性」があると仏陀が述べているようですからね。
「理解するだけで効き目が出てくるということです。」
「 自分の理解ではなにも人間(動物)を前提にした生存でなくとも
いいのでは ・・・」
ということですね。
◇◇『「人生の大晦日」』
◇「参考過去ログ引用」「人生の大晦日解説」
http://metujinekikyou.blogspot.jp/2015/11/blog-post_26.html
2015年11月26日木曜日
ツイッター篇共通
『【サヨク速報】高島章弁護士「坂本秀樹氏が謝罪に訪れた。上越支社は
抗議電話で業務が困難な程に達してると」』 「火山旅 初」
--- 略 ---
◇「サブタイトル」
『 今後は一年の大晦日のみを考える事では無く、人生僅かに五十年、
その大晦日あることを胸算用して、財産があるならば相応の余財を
通常の交際に費やして、衆人と親しみ結ぶべきである。 』
『 今後はシャドー公務員としての手当は無いものとして計算をして
頂きたい。』
///// 引用ここまで /////
以前も書きましたが、自分は喘息呼吸困難の闘病に於いて、
人生二度目の自分を外から眺めるといったことをやってしまったわけ
ですね。
一度目は生まれて初めて立って歩いたのを外から眺めた風景を何故か
記憶して ・・・
二度目はトイレにて呼吸困難の発作を起こして瞬時でしたが自分の
後ろ頭を外から眺めていたわけです。
したがって世間でいうところの「終活」「人生の大晦日に悔いを
残さないよう」
私がこれまで蓄えた知識&経験は惜しみなく世間様、
このツイッター、ブログを読まれる読者様方に提供したいと思う次第。
ということで皆さん良い年をお迎え下さい。
◇「易より追加」
「沢火革 初」(:|||:|)変卦「沢山咸」(:|||::)
「初九。鞏用黄牛之革。」
「象伝曰。鞏用黄牛。不可以有爲也。」
本来の仏教はカル○的なものや霊感商○的なものは無いわけですが、
寒い地方に伝播した北傳仏教はどうしても建屋伽藍が無いと
修行できないわけです、
なので気象的な条件のせいか、そういう常見外道的なものが混じる素地
を作ってしまったわけです。
したがって私の書いたことはカル○や霊感商○では無い伝統仏教から
観ても煙たくなるかと思われます。
(もっというとこの条件のせいで ・・・ )
したがって私が書いたことはあくまで基礎基本であるということで
お願いします。
まともな伝統仏教様まで批判する意図は毛頭無いということです。
これはあくまで「善意を裏返す癖のある社会悪に対して批判する」
ということです。
◇
「山地剥 二」(|:::::)(|:::|:)
「六二。剥牀以辨。蔑貞凶。」
「象伝曰。剥牀以辨。未有與也。」
確かに御布施を得て伽藍を維持しないと修行の場がキビシイというのも
あるかもしれませんが、基本中の基本を観えなくしたのでは、
この辞の通りになってしまうのではないでしょうか、
先ほど書いた「ハンバーグ定食からハンバーグ」を抜くかの如き
所業は良くないということです。
ハンバーグ定食からハンバーグを抜くのであれば、 ・・・
お釈迦さんが「教師の握り拳は無い」と述べたこともここに起因する
わけですね。
今の日本の仏教界は運用運営する方々の良心に委ねられている、そういう
ことですので、くれぐれも「人生の大晦日」に於いて悔やむことの
無いよう運営頂きたいと思います。
◇
「地雷復 上」(:::::|)(|::::|)
「上六。迷復。凶。有災眚。用行師。終有大敗。以其國君。凶。
至于十年不克征。」
「象伝曰。 迷復之凶。反君道也。」
この卦は罪を得てしまった爻ですので ・・・
こういう宗教系のもので阿漕な利益を取るといったことですと少し
ばかりキビシイ未来が ・・・
のようですのでよろしく考慮いただきたい。
( ちなみにこれは易が提示してきたものです。 )
◇
「坤為地 四」(::::::)(::|:::)
「六四。括囊。无咎无譽。」
「象伝曰。括囊无咎。愼不害也。」
この卦は「財布の口を締めて・・・」余計な出費をしないよう ・・・
私が書いたような基本中の基本を踏まえないものは ・・・
一般の方々はよくよく理解を深めた上で御布施するようにという
ことになるのでは無いでしょうか。
世間は異質なものを接ぎ木してなにかと我田引水「豊」のパターンに
もっていく手法が満ちていますからね。
したがって「裏付けを取る也、裏綯う也」はどの方面を向いても必須
の手順になるのでは無いでしょうか。
一番いいのは、常に「人生の大晦日」を意識して忘れないことですね。
坊さん方もどうしても五欲に引っ張られてしまうわけですが、
禅定の楽しみの方がずっといいわけですね、(ここだけの話し)
(お釈迦さんが涅槃と間違えるなよ、と教えるくらいですからね。)
なのでせっかく禅定を作るだけの機縁を得たことを無駄にしないよう
進言しておきます。
人を集めて御布施を沢山得たとてこの世界の○楽は直ぐに裏返る性質
がありますからね。
ならばその涅槃と見まがうばかりの世界を確認するのも一興ではない
でしょうか。
//////////////////////////////
*** 追加修正 ***
誤)
『なので原始仏教でも般若心経でも「五蘊」「受想行識」』
正
『なので原始仏教でも般若心経でも「五蘊」「色受想行識」』
細かいですが一応訂正しておきます。
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