2016年1月27日水曜日

ツイッター編共通  ②「各国の年筮を投稿するにあたって前置き。」 「水雷屯 上」「易に利益を求められる 方々へ 」





ツイッター編共通 
②「各国の年筮を投稿するにあたって前置き。」
「水雷屯 上」「易に利益を求められる 方々へ 」


◇「サブタイトル」
{舎弟徳右衛門さんを苦境に陥れた例、
『  然るを余か短才を以テ。みだりに易辞を動かし。遂に此の人をして損害を
 蒙らしむ。実に慚愧(ざんき)に堪えさる所なり。』

呑象さん自らが大利益を取った例。
『 「 metujin  大秘伝 易を使って大きく利益を取るには。」
 (日当3800万円~ ) 』

この違いは「鼎」を裏返すか否かにかかってくるわけです。}



◇ これを書きますと「オイオイ」何故に前置きに②があるんだ ? 
というご指摘があるかと思いますが、
どうやら「本職の占い師」さんがフォロー解除されたようですので、易と問答
してみたわけですね。

それで、易に質したのは、

◇◇「問 筮」

『 易に質すが、人はどうしても目先の利を取りたがる、それは
易者にしても同じかと思う。
( そもそも私とて始めはそうだった。) 

こういう利を求めてのフォロワーさん占い師に対してはどう説くのが
賢明だろうか。--- 略 --- 』

『 水雷屯 上 』


※{誤解の無いように書いておきますが、私とて利益を考慮していない
 わけではありません、(聖人君子では無いですからね。)
 ただ易という占術を扱うに於いてどうあるべきかを書いているだけ・・}

( 私の場合は喘息呼吸困難闘病録に於いて、思いこみを超える利益をとって
 しまったというのもあり、実際この利益は大きかったわけです。
 これに自分の電気、制御系スキルを加えて条件切り分け絞り込みをやり、
 原因探査「外国からの食品汚染の害」までいったわけです。
 これは某療法開発者様もまだ正確には知らない情報になるわけです。)

これは論より証拠呑象さんの例がありますので占例を投稿して観ましょう。

 ◇「参考過去ログ引用」「 呑象嘉衛門さん唯一の誤占例 」
 http://blog.livedoor.jp/metujin-ekikyou/archives/36884566.html
 014/3/115:45
 --- 略 ---

 metujin  ekikyou  日誌 ツイッター番外編 
 ③「クリミア議会、ロシア編入案を全会一致で可決=ロシア通信」
 「水雷屯 上」

 □「サブタイトル」
 「 呑象嘉衛門さん唯一の誤占例 」

 --- 略 ---

 「 呑象嘉衛門さん唯一の誤占例篇 」 
 


 ---◇
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/760542
 典拠 高島易断 巻第 一 
 「屯 上」 「国会図書館蔵、高島易断 コマ番87- 」
 (合略仮名、当用漢字に無キは修正の後引用)
 ※「勝手意訳」

 『「占例」高島嘉右衛門易断を誤る 

 余常に。易理の神妙なるを愛し。讃仰服膺(せんこうふくよう)
 (さんごうふくよう)(ふかくまなぶ)すること。茲(ここ)に久し。
 (竣工式の前振りに同じ)

  故に家族亦。易を嗜(たしな)むもの少なしとせす舎弟徳右衛門の如キも。
 同しく易を好めり。一日旧手代某。
 舎弟の木挽町の居に来る。某曰く近時商業振るはずして。殆と
 休業に似たり。故に失ふ所あるも益する所あることなし。

 今日に至りては。衰微日一日より甚だし。故に在来の家業を廃し。
 他の善業に就かんと欲す。其の可否如何。願わくは之(これ)を筮せよと。
 舎弟乃チ 筮を繰りて之を占ふに、水雷屯の上爻を得たり、

 爻に曰く乗馬班如。泣血連如と。屯の卦たるや。困窮甚だしきものとす。
 居れは則チ安からす。往けは則チ之く所なくして。水に陥る。
 馬に乗りて方向に迷ひ。泣涕(きうてい)(泣く)するの外。術なきの象なり。
 今子の善業を求むるも。蓋シ(思うに)利益あることなし。須(すべか)
 らく沈黙して。時期の到るを待つべしと。

 時にたまたま舎弟を訪(と)ひ。
 占断のことを聞けり。余の曰く。方今(この頃)開明の世に於テは。易の
 占断も亦。其の世に適合するを主とす。之を活断と云フ。
 豈徒(いたず)らに卦辞に固着して。死物となすへけんや。本卦の如キは。
 往くに之(ゆ)く所なくして。水に陥ると難。水に陥りて利を得る。
 是亦可なり。

 今や水潜器(すいせんき)(みずくまり)(潜水服の事)
 なるものあり。之れ水中に動くの器なり。子宜しく該器(がいき)を以テ
 鮑(あわび)を漁せは。上爻変じて。風雷益となる。

 則チ利益あること。疑を容れさる所なり。是れ即ち活断なり。鋭意して
 其の業に就くへし。努々(ゆめゆめ)疑ふこと勿レ と。
 舎弟は余か言の奇なるを怪しみ。不満の色あるも黙止して言はす。
 手代某の余の言を信じ。欣然(きんぜん)(よろこび)として去れり。
 既にして某は。水潜器若干個を購得(こうとく)(購入)し。終に其の業に
 就く。

 その初めは利益あるを悦ひ。いよいよ余の言を信じて。其の業を力(つと)
 めたり。余も亦大(おおい)に活断を自負して舎弟に矜(ほこ)(誇)れり。
 然るに未た数ヶ月ならずして。風雨頻りに至り。激浪怒涛(げきろうどとう)
 (おおなみ)大に其の業を妨け。細鱗小介(さいりんしょうかい)も得て
 漁獲すへからす。
 (あわびのかけらすら獲れなかったんでしょうな)

 終に数月を出すして非常の損害を致し。原資殆んど損失せり。是に於テ
 某。単身悄然(ひとりしおれ)として余か舎に来たり。その薄命(ふしあわせ)
 を嘆す。余為めに愕然たり。

 謂らく嗚呼我が易を誤り。此の人をして殆(ほとん)ど死地に陥らしむ。
 そもそも易は。聖人の修むる所。
 卦の徳を立て。卦の義を取り。応爻を顧み。此の爻を較べ。乗る所あり。
 承くる所あり。

 陰陽消長の義と。形とを考へ。其の経験する所に依りて。近く適切する
 所を以テ。卦の辞を作り。其の吉凶を辨するは。
 爻辞に存する者なり。

 然るを余か短才を以テ。みだりに易辞を動かし。遂に此の人をして損害を
 蒙らしむ。実に慚愧(ざんき)に堪えさる所なり。因て其の償いとして。
 若干の金を与え。以テ余の過ちを謝したり。
 余是乎余。易辞の苟且(かうしょ)(かりそめ)すへからさるを悟り。
 ここに記して以テ自らを戒しむ 』


 □ 
  これが唯一といっていい誤占例を陳謝したものになるようですね。
 例の辞を用いずして卦変を以テ違えたと述べていたものになるようです。
 自分はあと数例これは、・・・というのをみつけましたが。

 ///// 引用ここまで /////


◇◇ 屯は鼎を裏返してできる。◇◇
 
「屯 上」爻に裏事情を問うと、

「火風鼎 上」(|:|||:)(::|||:)
「上九、鼎玉鉉。大吉。无不利。」

となります。
これは外国にまでその名声見識が及んだことをもっても明らかでは無いで
しょうか。

呑象さんは常には、これと「大有 上」(|:||||)

 ◇
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/760556
 国会図書館蔵 高島易断増補版 仁之巻 コマ番「257-」
 「火天大有 上」 
 「勝手意訳につき原文の確認及び、文章利用の際は一報を」

 『爻辞曰。上九自天佑之。吉无不利。
 象伝曰。 大有上吉。自天祐也。

 --- 略 ---
 所謂(いはゆ)る期せずして自ずから致すものなり、
 此の時に当りては、天助を得て、凡(はん)百の事業吉利ならざるなし、
 故に 自天佑之吉无不利 と曰(い)ふなり、

 夫レ聖人の易を作る、其の要、人をして天佑吉利を得せしめんとするに
 外(ほか)ならず、この爻の辞(ことば)、一言以テ三百八十四爻を蔽
 (おほ)ふに足ると謂フべし、』

 ///// 引用ここまで /////
 

 これを体現された方だったわけですね。
ところがこれを裏返して、相談者をして塗炭の苦しみに墜として
しまったわけです。
 以前も書きましたが「鼎」(かまど)をひっくり返して新たにそれを構築する
「屯」卦の場合はだいたい、ものになるのが、日本の教育制度、633制と
同じなんですね。

つまり「蒙 五」爻の時になって初めて使い物になるといいますか、 なので
屯 上爻だと小学六年生の段階になるわけですね。

普通に小学六年生の基礎教育段階で「商い」をするのが適切でしょうか。?
私は無理だと思うわけですね。
更に普通はそれから「賁」たる屋号のブランド構築をやっていくわけです
からね。


◇ 
 私思いますにこの違いは「公」に軸足をおくか否かによるのでは無いかと
思うわけですね。
( 理論はどうあれ実際を観察するに ・・・)

なので、易の場合は緊急の場合を除いて、「目先小人占」には対応しない
のであるし、「公、政治行政」用となっているわけです。
結局「公、政治行政用」というのは「公 吉利」

何がなんでも片足は「公 益」を意識していないと、こういう感じに裏返る
「リスク」があるものと推測するわけですね。

( むろんこれを書きますと、偉そうにお前はどうなんだ。・・・
というご指摘があるかと思うわけですが、私は叩けば肺からまで埃、
ゴミが出てくる人間ですので、 ・・・^^))


あとそれじゃあつまらんという方には、

 ◇「参考過去ログ引用」
 http://metujinekikyou.blogspot.jp/2014/12/metujin-ekikyou_2.html
 2014年12月2日火曜日
 --- 略 ---

 metujin  ekikyou  日誌ツイッター篇共通
 「馬総統、馬政権問筮後始末」


 ◇「サブタイトル」
 「 metujin  大秘伝 易を使って大きく利益を取るには。」
 (日当3800万円~ ) 

 ///// 引用ここまで /////

 を投稿済みですので引用しておきます。

「公 政治行政用」というのは結局「大有」たるものが前提条件にあって、
どちらかといえば、稼ぎをとりに行くと云うよりは、守りの利益が主では
無いかと思うわけですね。

そして「思いこみを超える利益」は人によってはこれ以上ない「利益」と
なるわけです。

舎弟徳右衛門さんを苦境に陥れた例、
『  然るを余か短才を以テ。みだりに易辞を動かし。遂に此の人をして損害を
 蒙らしむ。実に慚愧(ざんき)に堪えさる所なり。』

呑象さん自らが大利益を取った例。
『 「 metujin  大秘伝 易を使って大きく利益を取るには。」
 (日当3800万円~ ) 』

この違いは「鼎」を裏返すか否かにかかってくるわけです。


◇「易より追加」
「離為火 三」(|:||:|)変卦「火雷噬ロ盍 」(|:|::|)
「九三、日昃之離。不鼓缶而歌。則大耋之嗟。凶。」
「象伝曰。日昃之離。何可久也。」

この爻は毎度お馴染み、天下りの席を求めるよりは、最後の最後まで「公」
たる立場でその頭脳資源を使って頂きたい ・・・・という趣旨で批判
してきたものです。

「大有」たる「公」の立場にある方々が社会不安を作り出す例が多々
あるわけですので、そういうものに関しては遠慮無く批判するといいますか、
させられているといいますか。 ^^)

 それとこの象は、「君子統治占」としての易の趣旨に添った使い方を
しない場合は、「則大耋之嗟。凶。」となるようですから、一応書いて
おきます。

 廃人モード、ミジンコにも足りない分際で不遜ではありますが、その場合は
「公益」に片足突っ込んで呑象さんのような「大きな利益」を取るように
すべきでは無いでしょうか。
( 公益を思案して応分の利益をくれというのは易も肯定するわけです。)

そうでは無く、あくまで「私 益」に固執する場合は、

「水風井 初」(:|:||:)変卦「水天需」(:|:|||)
「初六、井泥不食。舊井无禽。」
「象伝曰。井泥不食。下也。舊井无禽。時舍也。」

その井戸を汲みに来る人が結局居なくなるようですので、これも念を押して
おきたいと思います。

要するに片足は「公 益」に突っ込んだ形を崩さなければいいわけですね。
^^)) 「これは秘伝です。」 笑)) 。 

あとひとそれぞれ信仰をもっていたりして、
ここに書くことを飲み込めない場合もあるわけですね。 
( 昨日は仏教論まで書きましたからね。)

 これも私が書いていることが間違いか否か、その裏付けを取るのは
読者側にあるわけですので、それも書いておきます。
( ただ仏典は論書を含め膨大ですから ・・・)

それにしても各宗派ぶつからないよう、きちんと経(般若心経)を選別して
あるわけですね。

となれば後は○○系では無い方の ・・・
まあ信者さんからお布施を集めて、伽藍だけ大きくしたところで ・・・
というか、占いは宗教に○○するための○○になっていたりしますからね。

したがってそういう意味に於いても、
「占いは裏付けを取る也、裏綯う也」を推奨するわけです。



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*** 追加雑談 ***

 《 故に家族亦。易を嗜(たしな)むもの少なしとせす舎弟徳右衛門の如キも。
 同しく易を好めり。一日旧手代某。
 舎弟の木挽町の居に来る。某曰く近時商業振るはずして。 》

この占例は舎弟徳右衛門さんのところに相談にみえた方の例ですね、
表題が適切ではなかったかと思いますので、ここに陳謝しておきます。

 話を元に戻して、易曰く、metujin のフォロワーさんは批判した旅人さん
だとか、監視の方が多いようですので、
私としてはお引き取りいただけるよう、たまにふりほどいたりするん
ですね。 ^^)
( 芳しく無い方々の場合は易から警報が出ますので。 )

 ただ、残っていただいた方々へのおみやげも大事なことですので
こんなことを書いたりもするわけです。

易も仏教もその最大の利益は何かといえば、私は「思いこみ」を超える
利益だと思うわけですね。

 ◇「参考過去ログ引用」
 http://metujinekikyou.blogspot.jp/2015/02/metujin-ekikyou_19.html
 ◇◇「感覚器官とその対象の論、般若心経は仏教の精髄」
 (感覚器官とその対象によって固く結ばれた我執をほどくのが ホトケ )


 ◇参考資料「ウィキペディア般若心経」 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C

 引用は当該部分のみ、
 《是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、
 無色・声・香・味・触・法。》

 細かな前後の言い分は抜きにして「感覚器官とその対象の論」になっている
 のが解るのではないでしょうか。
 要するに一つ一つの感覚器官とその対象によって「識」が生じそれらが合成
 されて「我執」→「苦悩」にまで発展するんですね。
 「空も縁起もこれを云わんが為のものなんですね。」
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 これは囚われる心でもありますから、先の「天地否」に繋がっていく
 ある種の力になるわけです。

 ///// 引用ここまで /////


 「苦悩」に対処するには以前書いた「キリスト教方式」
「汝の敵(批判)を愛せよ」方式「物事が裏返った時の ・・・」も秀逸で
ありますが、仏教方式、易経方式
とあるわけですね。

詳細すると長くなるのでここまでにします。


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