2015年1月4日日曜日

metujin ekikyou 日誌 2015年 年頭ご挨拶。







metujin  ekikyou  日誌 2015年 年頭ご挨拶。

◇「サブタイトル」
( お待たせした読者様方へのお年賀、 
 「風水渙 二爻」の悟り結果報告 ) 


新年明けましておめでとうございます。

昨年中は乱筆乱文、短文ツイッターに長文をとフォロワー様方のタイムラインを
汚して大変心苦しいことでありましたができれば今年も継続したいと
考える次第であります。 ^^) 


昨年一応 metujin めの呼吸困難の発作が再発関係を投稿してありましたので
易に詳しく無い方も察していただけたかと思いますが、
年末年始は入院してしまったわけですね。
(お恥ずかしいことに救急車にて運ばれたわけです。) 

なので年頭のご挨拶まで遅れて今となりましたこと重ねてお詫びしたいと
思います。

 ---◇「発作関係雑談の過去ログ」(2014/12/245:36)
 http://blog.livedoor.jp/metujin-ekikyou/archives/41964552.html
 ◇「雷天大壮 上」(::||||)(|:||||)
 「羝羊觸藩。不能退。不能遂。无攸利。艱則吉。」
 象伝曰。「不能退。不能遂。不詳也。艱則吉。咎不長也。」

 苦しめば吉であり咎もそう長くは無いようですね、「大壮」イコール「大兌」
 (:||)

 口であり呼吸。この場合の「咎」は「呼吸困難の発作」になるわけです。 

 ※(尚、医療は医師の領域でありますから、その点誤解の無いようお願いします、
  占術はあくまで医師、薬剤師の良し悪し等を判別するまでということで。)

 ///// 引用ここまで /////


◇ 後付講釈を許していただけるならば、

裏事情はといいますと、「風地観」(||::::)の大艮(|::)
変卦「水地比」(:|::::) 

「風地観」は鳥居の象であり、比はそれに世間の皆さん方が「比」する時。

世間目線「天山遯」(||||::)「天火同人」(||||:|)
metujin  の場合は世間「同人」の皆さん同様にとはいかずして年末年始病院への
「天山遯」と相成ったわけです。


◇「風水渙 二」の悟り「救急車による搬送」

それで私事年末年始入院自体は計画のうちだったわけですが、
(実をいうと三日頃に退院というのも計画のうちだったんですね、信じてもらう
必要は無いですが、易との問答ではそうでした。)

そもそもの metujn  の計画では
昨年12月29日月曜を予定していたわけです、ですがそれが28日、日曜夕方には
救急車にて運ばれる羽目になったわけです。
(親がカニ歩きをしている私を見かねて救急車を呼んでしまったんですね。)
^^) 

それでこれは日々問筮データを得るためにやっている当日の日筮で上記
「風水渙 二」だったわけです。

( 誤解の無いように書いておきますが、これは占いにつきものの依存の病
では無くてあくまで陰陽の動きを探るためのもので、結果等はこういう公
的場で書いたりするわけです。

{禍福はあざなえる縄の如し、小人は目先の福を集めんが為に一番反転しやすい
「否シテの泰」を強引に作った挙句自滅の愚を冒す、「困」を裏返した「賁」の
輝きでなければ世間様に通用する輝きや価値は出テこない。
「屯難」を経た「鼎」にあらざれば ・・・} 

これらがこれまでの問筮から得られた果実ということです。
尚略筮で、必ず変が出テきますので、必ずしもこういうイベントがあるものでは
無いということも念を押しておきます。) 


ということで話を元に戻しますと、この「渙 二」は「天地否」(|||:::)
から来ているんですね。


◇「呑象嘉右衛門テキスト引用」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/760560
国会図書館蔵 高島易断増補版 信之巻 コマ番「4-」 
「渙」卦解説 
「勝手解釈につき原文の確認と文章利用の際は一報を」

『 此の卦、三陰三陽にして、陰陽の数相半(あいなか)ばす、蓋(けだ)し(思うに)
天地否より来るものなり、・・』

※( 以降コマ番「10-」「渙 二」解説へ )

『九二。渙奔其机。悔亡。
 象伝曰。渙奔其机、得願也。

奔は走るの迅(はや)きなり、事に赴(おもむ)きて後(おく)るるを恐るるを奔
(ほん)と曰ふ、机(き)は人の依(より)て以て身を安んずる者、巽木を以て
互卦(二三四)震足に乗る、机の象あり、即(すなは)ち九五を指す、
又震の足たるや、即(すなは)ち奔(はし)るの象あるなり、

此の爻、剛中の才あれども、坎険の主たるを以て、其の身険難に陥る者なり、
抑抑(そもそも)中正の位を得、渙散の時を得たり、渙散の時は、必ず
其の身を安地に置き、しかる後以て天下の渙を救ふべし、故に吾が器
に当らざるの職を辞して、安んずる所を得(う)る者なり、而(しか)して渙散

の道は、速やかなるを以て吉とす、故に 渙奔其机 と曰ふ、九二早く
九五に往くべきの数訓(すうくん)(おしえ)なり、悔とは、其の身険に陥る
を謂(い)ひ、亡とは、其の険を渙散するを謂ふ、象伝に、得願也 と曰ふも、
机(き)に依りて、身を安んじ、危うきを去り、安きに就くの願いを得(う)る
を謂ふなり、・・・』


 この光景、
 机というのは救急車に備え付けの搬送用ベッドでありまして、患者となった
方がその身を安んずるものです、
さらにはその「震」の走る&迅速を尊ぶところまったくそのまんま。
しかも九五に待っているのは救急外来のお医者様。 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

《 而(しか)して渙散
 の道は、速やかなるを以て吉とす、故に 渙奔其机 と曰ふ、 》

 まったくそのままですね。
実は 28日の午前中にこれらの文章には目を通してあったわけですね、なので
これ以外の問筮からも「救急車」の香りがしていたわけですが、
(例としては「震 上」等々) 

自分としては翌日の月曜の計画(自力での入院)に固執していたわけです。
自分がカニ歩きして母屋に帰った頃には救急車のサイレンが鳴ってましたので
さすがにパソコンを持ち出してという暇が無かったわけですね、
(かなりの精度で読んではあってもこの体たらく。) 


◇ 「天地否」よりきたる所以(ゆえん) 
  『救急車、消防車を格納した消防署は「公」であり「天」(|||)』

それで冒頭呑象嘉右衛門テキストに於いて「天地否」より来るを引用しましたが、
これは(|||:::)

外卦「天」(|||)としての公を意味し、これは消防署と思って頂きたい。
この四爻にある陽爻は何かといいますと消防署に格納された「救急車」を
意味し、この「救急車」の陽爻( | )が出動して内卦 民間の傷病者
を助けるために出動すると「坎」(:|:)の象になるわけであり、

この「渙の二爻は丁度 metujin がその担架(机)に乗せられた瞬間を云う
わけです。
(しかもこの渙散は酸素まで備え付けてあることや、パトライトとサイレンに
よって他の車両を渙散させることまで意味していたわけです。)

これは「天地否」(|||:::)の卦が「風水渙」(||::|:)となり、
外卦消防署側は「巽」(||:)であって出動中を意味し、二爻~五爻
の「頤」(|::|)は「離」(|:|)のパトライトの明かり&道路を
意味したわけです。

 それはそうですね、消防車や救急車があっての消防署ですからね。

この時「震 上」がパトライトを鳴らしながら到着する救急車と重なって
ましたし、「担架」机はそのままでしたね、机が来た ^^) ・・・
なので易はいろんな方面からその光景をこちら側に伝えてきていたわけですね。
(もっといいますと、「天」たる親が通報したのもこの象になるわけです。)

と云うわけで、このような些細な経験も読者様方の「君子統治占」のお役に
立てるならば幸いかなと思う次第。
昨年来書いていることですが、占いは「裏綯う」なり、 
意図したこととは反転裏返った場合への備えを眼目にすべきなのであります。

 昨年投稿した各国の年筮反省等々ありますが、とりいそぎ年頭の
ご挨拶とさせていただきたいと思います。


◇ 易からの追加ご挨拶。 

◇「火天大有 初」(|:||||)変卦「火風鼎」(|:|||:)
「无交害。匪咎。艱則无咎。」

◇「呑象嘉右衛門テキスト引用」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/760556
「国会図書館蔵 高島易断増補版 仁之巻 コマ番「250-」
「火天大有 初」解説 
「勝手解釈につき原文確認と文章利用の際は一報を」

『 夫(か)の形而上の望みを名とし、形而下の望みを利とし、之(これ)に
 汲々として道に復(かへ)るを知らざる者は、此の爻辞に所謂(いはゆ)る、
交(まじはる)害(がい)の小人にして、終に无咎(なきとが)を得ざるなり、

一説に无交害の三字を、交わること无(な)くして害ありと訓(よ)む、
蓋(けだ)し(思うに)初九の応は九四に在り、両剛相遇(あ)ふて、其の情
相得ざるが故に、其の意も亦(また)なきにあらざるなり、』


以前より書いておりますように易はその成立過程からしても、「大有」たる
政治行政用であり、ことにはその三爻、
「公用亨于天子。小人弗克。」

目先の名利、目先の利益に対応したものにはなっていない。
(小人が扱うには害がある。)

この文言は先に私が書いた、小人は「禍福はあざなえる縄の如し」を思慮すること
無く、

目先の福を集め、むりやり「地天泰」を
作ったつもりがそれが上爻に進み「城堀に復(かへ)る」か或いはそのまま
反転裏返して世間まで「否塞」させた挙句に自滅のリスクを犯すことを諭した
ものと思われます。

 これを書くと反発されるかと思いますが、「原発村」の方々がその見本
では無いかと思われます。

「一説に无交害の三字を、交わること无(な)くして害ありと訓(よ)む、」

「公」として「大有」たる政治行政の立場にある方々への心構えの初歩基本になる
辞かと思われますのでここに提示しておきます。
一般の方々の批判を単に「天」(|||)と蓋シテしまうのでは
「交わること无(な)くして害あり」

となるかと思われますので今後とも真摯に対応して頂きたい。
世間の批判への対処対応はそのまま「公」たる方々の真の安泰に繋がるのでは
ないでしょうか。 


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